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数日おきに一度、「見舞い」と称して公爵邸に通う生活が三ヶ月ほど続いた。
「ヒースのおじさま、こんにちは」
「(おじさんじゃないけど)こんにちは」
「おじさまですよ。私よりずっと大きいんですもの」
その日は、庭でのお茶会に招かれることになった。
アメリアとしては「お友達をたくさん」招きたいらしいのだが、今の状態のアメリアを衆目にさらすわけにはいかないという公爵の判断から、かつての友人たちとの交流は絶たれている。よって、招待客はときどき訪れる「ヒースのおじさま」のみ。
それでいて、お茶会は簡易のものなどではなく、公爵家らしい万全の準備がなされていた。並んだテーブルも、運び込まれたお菓子も、飾り付けや居並ぶ使用人の数まで抜かりがない。
「客が私一人ではもったいないですね」
大ぶりに切り分けられたチョコレートムースやマジパンで飾られたケーキを黙々と胃に収めながらヒースが言うと、アメリアは「お客様がいるだけ幸せよ」と微笑んだ。
そのとき、立ち働いていた使用人たちの元へ、屋敷から走り込んできた従僕が何かの先触れを告げた。
――リチャード様が、女性を伴って訪れた。
ヒースは速やかに立ち上がった。きょとんと見上げてくるアメリアを見下ろし、注意深く誘いかける。
「最近このお庭に可愛らしい猫がくるのをご存知ですか? おじさまと一緒に探しましょう」
「まあ、猫? 行くわ」
二人が立ち上がったことで使用人たちが戸惑いを浮かべていたが「責任は私が。絶対に悪いようにしないから、少し席を外させてほしい」と告げて、アメリアの手を取る。屋敷から逃れるように、庭の奥へと続く小径へと小走りに入り込む。どこで姿を見られるとも知れないので、「あそこの茂みかな?」と言いながらヒースはアメリアの手をひき、道を外れた。
ヒースがアメリアを連れ出したのは、リチャードの来訪の用件に思い当たるところがあったからだ。
おそらく連れの女性はリチャードが見出した侯爵家の娘。ただの火遊びではなく、婚約を前提とした付き合いに発展している相手に違いない。王家もアメリアの父もその関係を了承しており、最初の婚約は解消の発表を待つ段階であった。
それは幼女のアメリアの知らぬところで進めてしまえばいいのに、リチャードはどうしてか自分の選んだ女性をアメリアに見せつけねば気が済まぬらしい。確かに相手は物怖じせずはっきりとした性格の好人物で、リチャードにも良い兆しがあるのはヒースも感じていたところである。
しかしけじめの付け方として、いまこの時点での直接の対面は、賛成できない。
(いつか言う必要があるとしても、今でなくても良いはず。アメリア様の心が育ってから)
闇雲に進もうとしたとき、不意にアメリアがヒースの手を強く引っ張った。何事かとヒースが振り返ると、アメリアは黒の瞳を茫洋と見開き、視線をさまよわせていた。
やがて、目の焦点が合ってくると、顔を上げてヒースをまっすぐに見た。才知の煌めく瞳。
「違います」
「何がです?」
「私は、その、用を足すために急いで走っていたわけではありません。なのに、あなたときたら……」
抗議された内容を、ヒースは記憶に照らしてゆっくりと思い出す。
もしかして、と思ったところで、アメリアにさらに言われた。
「王宮で、リチャード様のお側に女性がいるのが嫌で夜会会場から逃げてきて、庭に走り出した私を見て、あなたは言いました。『花を摘むなら良い場所があります』と。そのまま穴場の茂みを教えてくださいました。あのとき、私がどれだけ恥ずかしかったことか……!」
「そんなこともありましたね。私は同僚から教わっていた『花を摘む』という表現がもしかして嘘だったのかと焦りました。それで言いました、もう少し直接的なことを。あのとき私は王太子付きになったばかりで、アメリア様をお見かけしたのも初めてで。……まさか、シチュエーションかぶりで記憶が……?」
恐る恐る尋ねると、アメリアはどこかから取り出した扇を開き、赤く染まった顔を隠してしまう。
「後にも先にもあれほど真剣に心配されたことがなく、変わった男性だと思いました。殿下のお付きなのに、真心のある方がいるものだと、あなたのことが妙に記憶に残りました。でも記憶喪失は嘘ではないんです。たった今まで」
「困惑なさっているのはわかります。落ち着いてから殿下にお目にかかりますか? 騙していたわけではなく本当に無邪気な幼女だったことは私が保証します。あなたとはこの三ヶ月、この庭でたくさんのミミズや虫を」
ずぶずぶとその場にしゃがみこみながら、アメリアは「昔はお転婆だったのですよ」とかすれた声で呟いた。
その手を取り、助け起こしながら、ヒースは思わず笑みをこぼして告げた。
「とても楽しい時間でした。あなたと過ごす日々が、このまま続けば良いと願うほどに」
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