殿下の婚約者は、記憶喪失です。

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 王太子のリチャードは、令嬢たちのお茶会に顔見せすることを「退屈な義務」「あくびを噛み殺して」「望むままに微笑むだけ」「彼女たちはよくあんなことばかり毎回、飽きもせず」と小馬鹿にするのが男同士の会話の(たしな)み、「粋」だと信じている節がある。  護衛として行く先々に付き従うヒースとしては「それは単なる陰口では。ただのイキリで品性も捻りもない」と思わずにはいられない。とてもではないが、「殿下の仰る通りです!」と持ち上げることはできない。 「ヒース。声に出ている。いま完全に全部口にしていたし、聞こえた。聞いた」  金髪碧眼で、美貌の王妃によく似て顔だけは良いリチャードを前に、ヒースは口を閉ざした。  ここぞとばかりにリチャードは溜息をつき、肩をそびやかす。 「俺でなければ、お前の首はとっくに体とおさらばしていただろう。王族に仕える近衛騎士として、もう少し(わきま)えろよ」  ばちん、と片目を瞑って、おそらく本人としては「決め台詞」らしき常套句を言ってくる。リチャードは、自分の部下に対して、このように鷹揚(おうよう)ぶる傾向が往々にしてあるが、この振る舞いは、「自称サバサバ系」ではないかとヒースは愚考している。 (「俺は気にしないけど、周りが気にするからもっと弁えろ」という婉曲な脅し。確かに支配層にとってはこれで十分、下々に対して鷹揚な態度なのだろう。立場的には、周りがすべて便宜をはかってきてくれたわけだから、その「周り」の機嫌を損ねたらお前が危ういぞ、というのはこの方にとっては十分親切な忠告なのだ。ただし、自分自身の行動に関しては「周り」を気にしないし、口も出させない) 「無礼ついでに、殿下にはぜひ今より行動に分別を持って頂きたく」  ヒースが言っても、不満そうに鼻を鳴らすのみ。  本人はごく自然に自分優先で周囲の小言など聞く素振りもない。総じて「自分は特別。周りは俺の顔色をうかがうべきだが、俺は自分のやりたいことをする」という考えが透けている。  根の部分がそうなのだから、時折見せる優しさめいたものには多分に本人の「やってあげた感」が滲み出ている。その優しさを向けられた者は、どんなに些細でも気づいて全力で褒め称えねばならない。  王太子の婚約者である公爵令嬢アメリアは、この点でいつも微笑みの影に疲労を蓄えているように見えた。  リチャードから極稀に向けられる小さな優しさを絶賛し、持ち上げる。自分自身は限りない優しさと愛情を注ぎ続ける。リチャードはそれをすべて当然と受け止め、省みることはない。ただし、アメリアがその献身を止めたら烈火の如く怒り狂うのは想像に難くない。自分の行動にアメリアが口を出すのも絶対に許さない。たとえば結婚前に派手な女遊びはやめて欲しい、という願いでさえも。  アメリアは王太子妃、ゆくゆくは王妃という地位は得られるものの、生涯に渡って心の通い合った伴侶を持つ幸せとは無縁に終わるのかもしれない。  緑なす黒髪に、輝く黒曜石の瞳。雪白の肌に薔薇色の頬。美しく誇り高く、いつでも微笑みを絶やすことのないアメリア。しかし彼女はある日を境にひとが変わってしまった、らしい。  公爵家より告げられたその理由は「高熱で倒れて数日寝込んだあと、記憶が綺麗に消えてしまった」というものだった。  * * *
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