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渡瀬萌(わたせはじめ)先輩に初めて会ったのは中学1年生の委員会の時。私が1年5組で先輩が2年1組だから席が隣だった。
2回目の委員会で連絡網が配られた。その時、先輩が
「名前の漢字同じだね。なんて読むの?」
と聞いてきた。
「もえです」
と答えると
「かわいいね」
と言って笑った。それから
「俺はもえちゃんと同じ漢字ではじめって読むの」
と教えてくれた。それが始まりで今思えばそれが全てだった。
中2の時の先輩はまだ私と同じくらいの背丈で声も高めだった。まっすぐな黒髪は耳にすこしかかるくらいの長さで、サラサラと揺れるのが印象的だった。
夏休みが明けると、文化祭の準備が本格化した。この委員会も毎年文化祭に出展するため、その準備で放課後残ることが何度かあった。ある日1年生が私のみで、先輩と2人一緒に作業する機会があった。先輩は
「もえちゃんよろしく~。初めての共同作業だね~」
と言って笑った。私は控えめに
「よろしくお願いします」
と言った。
線画の描かれた白い看板に指定の色を塗っていく単純作業。私は黙々と作業をしたいタイプだが、先輩はそうではなかった。
「もえちゃんの担任ってりょうちゃんでしょ? 緩くていいよね」
先輩は看板に筆を滑らせながら会話を始めた。
「そうですね。多少の遅刻なら見逃してくれます」
白い看板に青色を塗りながら私は返した。
「俺の担任は笹原(ささはら)だからさ~。厳しいんだよね。この前も漫画読んでるの見つかって没収されちゃったし」
「学校で読むからですよ」
「だって続きが気になっちゃってさ。しかもそれ友達から借りたやつだから弁償しなきゃでさ……俺のなけなしの小遣いが……」
「ドンマイです」
「もえちゃん小遣いいくら? 俺2000円」
「私、小遣い制じゃないんです」
「もしかして都度制!? お金欲しい時にもらえる感じ?」
「そうですけど、渡瀬さんが思ってるほど便利な制度じゃないですよ。何に使うかとか言わなきゃいけないし」
「そっか~。てか、呼び方! はじめで良いよ。俺はもえちゃんって呼んでるんだし」
「いや、先輩だし流石にそれは……」
「気にすることないけどなー。もえちゃんは真面目だね」
「それより渡瀬さん、そこ色違います」
「あ、本当だ。ありがとう。よく見てるね~」
と先輩は笑った。先輩の笑顔はくしゃっとしている。頭を撫でたくなるようなそんな笑顔。
「話しながらなのによく気付いたね。もえちゃんって器用さんなんだね」
「そんなことないです。不器用です」
「んーたしかに色塗りは苦手かもね」
先輩はそれぞれの塗った個所を見比べてそう言った。私のところは塗りムラが酷かった。私は俯き、ごめんなさいと小さく謝った。先輩は私の頭にそっと手を置いて、いいよと言った。
「もえちゃんが色置いて、仕上げは俺がすればいいんだよ。先輩に任せなさい」
「いや、でももっと注意してやれば……」
と私が言うと、先輩は私の頭に置いた手に力を入れがしがしと動かした。
「共同作業なんだから良いんだって。ね?」
と言って手を離した。頭が少し熱を持った気がした。
「わかりました」
「素直が1番!」
というわけで私が先に大まかに色を塗り、先輩がその仕上げをすることになった。先輩は色を気にしなくていいから楽だと言ってくれた。
「もえちゃん、誕生日はいつ?俺ね、4月1日なんだ」
下校時刻まであと30分くらいのところで先輩はそう言った。西向きの教室には夕日が差し込んでいた。
「4月2日です」
「マジ!? 1日違いじゃん!」
「そうですね」
「俺さ、あと1日遅ければ別の学年でしたーっていうのが持ちネタなの。それするつもりで聞いたのにもえちゃんも同じじゃん」
「1日早ければ別の学年?」
「そうそう。今度からもえちゃんも使って良いよ。特別な」
と言うと先輩はまたあのくしゃっとした笑顔を見せた。
「もしかしたら同じ学年だったかもしれないんだよね、俺達」
「そうなりますね」
「でも別の学年で、俺が上で良かったかも。もえちゃん真面目だから同学年とか俺が後輩だったら怒られちゃいそう」
「そんなことないです。渡瀬さんに怒る点とかないですし」
「そっかなー。俺、適当な人間だからさ。母さんによくそう叱られる」
「渡瀬さんは適当なんじゃなくて器用なんじゃないですか?片手間で綺麗に塗れるし」
「そんなこと初めて言われたわー。もえちゃん優しいねぇ」
「渡瀬さんはなんでこの委員会に入ったんですか?」
先輩は所謂委員会をしそうなタイプではなかったため気になった。
「アドベントの飾り付けがしたかったからかな」
うちの学校は中高一貫のミッション・スクールだ。アドベントというのは
簡単に言うとクリスマスの準備期間。その期間、校内はボルドーとゴールドを基調としたクリスマスの装飾が施される。この委員会は中学部宗教活動委員会と言い名前の通り中学部のイベント関連の礼拝やアドベントの装飾、募金活動などを主な活動としている。
「私もです」
「あ、マジで!? うちの飾り付け、シックで良いよね。もえちゃん、去年の受験生向けクリスマス礼拝に来た?飾り付け俺がやったんだよ。一部だけだけどさ」
「行きました。素敵でした」
「だろ~。まあ素材が良いから誰がやっても良い感じになるんだろうけど」
「私もアドベントの飾り付けがしたくて入ったんです」
「一緒じゃん! じゃあ早くアドベントになるように毎日礼拝で祈っとくわ。もえちゃんも祈っといてね」
祈ったところで1日24時間なのもアドベントの始まりも変わらないのにそんなことを言う先輩がおかしくて私は笑った。なぜか先輩はもえちゃんが笑ったと嬉しそうに言った。
下校時刻まであとわずかとなり、委員長が今日の作業の終了を告げた。教室を原状回復し、解散となった。みんなで下駄箱へ向かう中、私はロッカーに忘れ物をしたことに気付き隊列を離れ教室へと向かった。ロッカーから忘れ物を取り出し、急ぎ下駄箱へ向かった。下駄箱は無人だった。靴を履き替え、校舎を出ようとした時
「もえちゃん」
と声がかかった。声の方を見ると先輩がいた。
「俺、忘れ物しちゃってさー。1人になっちゃったなーって思ったらもえちゃんがいたわー」
「私も忘れ物しちゃって」
「え、俺ら今日めっちゃ一緒じゃん。仲良し」
先輩の言葉はなんだか耳障りが良かった。先輩と2人並んで校舎を出る。出入り口は北向きらしく左側から強い日が当たり、右側に2人の影がくっつくようにのびていた。
「まだ暑いけど、日は随分短くなったよね」
「そうですね。秋分も過ぎたので」
「文化祭になったら次は体育祭とか球技会とかがあってあっという間にアドベントだよ」
「テストもありますもんね」
「うわ、嫌なこと言うなぁ」
と言って先輩は笑った。横に立つ先輩の背丈は4月の時よりも高く感じた。
文化祭や体育祭が終わり、アドベントを控えた放課後。中高の宗教活動委員が一堂に会し、飾り付け作業が始まった。
私はクリスマスツリーの装飾をしていた。そこに他の作業を終えた先輩がやって来た。
「手伝うよ、もえちゃん」
と言うとツリーを中心に私と反対側に立った。
「初めてのアドベントの準備はどう?」
ツリー越しに先輩が尋ねた。
「とっても楽しいです」
「本当だ。楽しそうな顔してる」
視線を手元から正面に移すと、先輩がツリーから顔を出しこちらを覗いていた。やめてくださいと言うと先輩はくしゃっと笑って顔を引っ込めた。私は顔を隠すように手元に視線を戻す。なぜか顔が熱かった。
「来年も是非、宗活に入ってよ」
「入りたいです。でもクラスのメンバーによります」
「現実的だなぁ」
宗教活動委員会、通称『宗活』。各クラスから1名委員が選出され、そのメンバーで構成されている。今年委員になれたのは、複数の志願者の中からじゃんけんで勝てたからだ。
「渡瀬さんは来年どうするんですか?」
「もえちゃんと同じだよ」
しかし、次の4月の宗活の集会に先輩の姿はなかった。
「もえちゃん」
委員会の帰り、階段を上っていると声をかけられた。振り向くと先輩がいた。先輩が駆け足で上り私の横に並んだ。先輩はまた背がのびていた。
「委員決めで負けちゃった。ごめんね」
と申し訳なさそうな顔で言った。
「そればっかりはしょうがないです。来年リベンジして下さい」
「でも来年はもえちゃんいないしなー」
来年の先輩は高校1年生。高等部の委員会になる。中学部とは別で活動している。
「私とアドベントの飾り付けは関係ないじゃないですか」
と言うと先輩は苦笑した。
「来年ももえちゃんは立候補する?」
「するつもりです」
「じゃあもえちゃん委員長かなー」
「それは分からないです」
「でも興味はあるでしょ?」
「まあ、少しは……」
「やっぱり。良いと思うよ。もえちゃんしっかりしてるから」
「そうですかね」
「もえちゃん、来年アドベントの飾り付けを一緒にできるようにお祈りしててよ。俺はするからさ」
「毎日ですか?」
とふざけて聞くとそれに反するように先輩は真面目な顔をして
「俺は毎日するよ」
と言った。普段と違う表情をする先輩がおかしくて私はふふっと笑った。
「何で笑ってんの」
「渡瀬さんが変な顔するからですよ」
「してないんだけどなぁ。まあいいや。またね、もえちゃん」
と言い私の肩を叩くと、先輩は立ち去って行った。
それからも先輩は私を見かけると声をかけてくれた。私も先輩を見かけたら声をかけるようにした。
3度目の春。私は宗活の委員長になった。委員会の帰り
「もえちゃん」
と後ろから声がかかった。声の方を向く。そこには高等部の紺色のネクタイを締め、高身長で、ふわっとした髪型の男子生徒が立っていた。
「委員長になれた?」
と聞かれ、先輩だと気付く。声は初めて会った時よりずっと低くなっていた。
「はい、なれました。渡瀬さんは?」
「委員長就任おめでとう。俺も宗活入れたよ!」
と言ってくしゃっと笑った。変わらない笑顔になぜかほっとした。
「毎日お祈りしたからね」
「本当にしたんですか?」
「あ、もえちゃんお祈りしてないな!」
と言って先輩は私を小突いた。
「アドベント楽しみだね」
今まで見たことのない大人っぽい笑顔で先輩はそう言った。その笑顔に気を取られ、高等部の制服が似合っていることや髪型が変わって大人っぽくなったことなど伝え損ねた。
先輩は高等部に進学しても今までと変わらず声をかけてくれた。だから私は雰囲気の変わった先輩に戸惑いながらも、今までと変わらないように声をかけた。たまにそのやり取りに居合わせた同級生からかっこいい先輩だと言われ、なんとも言えない気持ちになった。
アドベントの装飾当日。手が空いたためどこか手伝おうと見回していると、ツリーに装飾している先輩が目に入った。そこに手伝いに行こうとすると、高等部の紺色のリボンをつけた人が先輩に声をかけ一緒に作業を始めた。なぜだか声をかけてはいけない気がして、私は同級生のところに手伝いに行った。その日は結局、先輩と話すことなく帰った。
それからなんとなく先輩を遠く感じてしまい、廊下や階段で先輩に出くわさないようにしてしまった。
そんなある日の放課後。先輩と先の女生徒が手を繋いで帰る姿を見てしまった。あのくしゃっとした笑顔で仲睦まじそうに話していた。
私はそれが物凄く悲しかった。そして先輩が好きなのだと気付いた。きっとずっと好きだった。だけど気付かなかった。私がもう1日早い誕生日で先輩と同じ学年だったら、もっと早く気付くことができたのかもしれない。今頃先輩のように大人っぽくなって、ツリーの飾り付けを一緒にできたのかもしれない。中学3年生の私は、人を好きになったと自覚したのが初めてでどうしたら良いかわからない。きっともう少しだけ早く生まれていれば……。
街が暮れていくのを良いことに、私は歩きながらそっと涙を流した。少しでも先輩に近づけるようにこれからは毎日お祈りしよう。来年のアドベントは一緒に飾り付けができますように。次の春は少し大人になった私を見せられますように。
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