Time is Money 早川悟の場合

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Time is Money 早川悟の場合

就職した会社がその年に潰れる、そんな経験をしたことがある人は世の中のほんの一握りだろう。 もともとベンチャー企業だという事は分かっていて入社をしたし、社風が生理的に受け付けないのではないかという入社前の心配は杞憂だった。当初苦手だった荻野さんとのコミュニケーションだって、最後の方はうまくいくようになったし、数回飲みにだって行った。 それでもやっぱり、収益源となっているビジネスそのものの倫理観を社会が放っておくことはなかった。時間の売り買いという夢のような話を提供して、そのデメリットを顧客に伝えないというのは、SNSでの炎上あふれる世の中において、あまりにも綱渡りだった。 きっかけは一つのつぶやきだった。時間の早送りの翌日に時間の経過が遅い気がするという感想レベルのそのつぶやきはフォロワーの多さも相まって急激な勢いで拡散され、それまで個々人が感じていたほのかの違和感が確信に姿を変え、そして署名活動に発展し、国からの追及を受けるまでに事態は急転した。 社長や市場調査部の安西さんは姿をくらましたという。それが物理的な逃亡なのか、はたまた時間の流れの中で逃亡をしているのか、僕には分からない。分かったところで会社の倒産はすでに決定的だ。 ◇◇◇◇◇ 新幹線が到着し、乗り込んでから自分の座席を見つける。 実家がある町に戻るのは、実に二年ぶりだった。持病で長く入院している母の見舞いは大学時代からの定例行事だったが、新型の感染症が流行して家族たりとも面会は全面禁止になってしまった。10年前にも同じような感染症が発生して学校が休校になったりしたのは覚えているが、当時は学校に行かなくていいという吉報のように捉えていた。 この二年間、時間を見つけては母にテレビ電話をかけてパソコン越しに顔を見せるようにしていた。最初のうちは「これなら新幹線代も浮くね」と互いに冗談を言っていたのだが、一年以上もそれを続けるうち、母の顔からは元気が抜けていくように感じた。父も電話越しの母との会話で同じことを感じていた。 『本日もご利用くださいまして、ありがとうございます。車内は、デッキ、トイレを含めまして、全て禁煙です。』 明日のちょうど今頃、二年越しに母の顔を見れる。本当に嬉しい。引き続きの感染対策として、面会に許された時間は1時間だけ。それでも、間に合って良かった。 Time is Moneyを開く。一週間後にはサービスは停止する。それでも今の自分にとってはありがたい。 「早送り、4時間」 ・・・ 終点に着いた。辺りはもう暗い。駅舎からの光に照らされる見慣れた雪景色を横目に、父が住む実家を目指してローカル線へと乗り換える。 明日、病院で母に会ったら何から話そう。いきなり就職先の倒産の件は刺激が強すぎるかな。 やっぱり会ってから決めよう。時間はたっぷりとあるのだから。
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