煙突屋根

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煙突屋根

煙突屋根 「ふむ、今日の軽傷者は十二人、重傷者は七人、死者は三人か…」 少し背の低い少年は、顔が隠れてしまうほど大きな新聞を覗き込みながら呟いた。 彼の名前はアルフレッド・シモンズ。今年で十六になった彼は少し大きめの紳士服を身にまとい、暇を潰していた。 「また被害者が増えたのか…このご時世、いつ同じ目になるか恐ろしくて仕事に専念できないよ。」 知らぬ若者ふたりの会話をアルフレッドは聞きながら、もう一度先程の記事に目を通す。 この街はどうやら他の地区より死者が多いようだ。 あれやこれやと思考を巡らせていると、遠くにある時計塔の鐘が鳴った。 ふと思い出したように腕時計を見た彼は、新聞を脇に置きその場から立ち去った。 午前九時十四分、彼はある問題に直面していた。 待ち合わせ場所である煙突屋根の建物らしきものが全く見当たらないのである。 街の中心地に行けば煙突は腐るほどあるのでいとも容易いことなのであるが…… あくまでも西方面の郊外にて待ち合わせ、ということなので、少し田舎の匂いがするこの場所では煙突屋根の建物を見つけるのは困難である。 彼自身のポリシーとしては、待ち合わせの時間十分前までには着いておきたいところだが、待ち合わせ場所自体が見つからないとなればどうしようもない。 仕方がない、とアルフレッドは本日二回目の暇つぶしをすることにした。 ここにはベンチなど設置していないので、長い裾が皺にならないよう丁寧に地面へ座り込む。 のどかな田園とぽつりぽつりと見える家。 それを見下ろす真っ青な空。 後ろを見れば遠くに街の中心地が見える。 彼は太陽の眩しさに目を細めてただひたすら景色を眺めた。 午前九時二十五分、ふと彼の頭には一つの疑問が浮かんだ。待ち合わせ場所は本当に「煙突屋根の建物」なのだろうか、と。 思い返してみればあのとき、「街郊外、西門から西に一キロメートル、煙突屋根のある場所」としか言われていないのである。 まさかと思い、アルフレッドは裾をはたきながら駆け出した。 午前九時三十分、彼は大きな一枚岩のそばにいた。 自分の影を飲み込んでしまうほどの大きな一枚岩だ。 彼は息を切らしながら、西を向いて自分の足元を見る。 そこには黒い煙突屋根があった。 待ち合わせ場所の煙突屋根とは、九時三十分頃に大きな一枚岩が作る影だったのだ。 してやられた、と彼が手ぬぐいで汗を拭いていると、一枚岩の後ろから声が聞こえた。 「時間ピッタリだ!ミスター・アルフレッド。」 赤毛の青年がひょっこりと顔を出した。 笑顔を湛えるその顔には薄い傷がある。とはいえ、よく見なければ分からないほどのものであるが。 「……君が例の……」 アルフレッドは頭の上にある紳士帽を取り、それを胸に当てた。これは、紳士たちにとっての敬意を意味する。 「ところで、君の名前を聞きたいのだが。」 そう言った瞬間、赤毛の青年は目を輝かせアルフレッドの手を握る。その衝撃で彼の手から紳士帽が落ちてしまった。 「名前を聞いてくれるってことは、これから名前を呼んでくれるってことだろう?いいとも!教えてあげよう!俺の名前はウィリアム!是非リアムと呼んでくれ!いや、絶対に!」 リアムの跳ねた赤毛が顔に当たってくすぐったいので、アルフレッドはそろそろと顔を遠ざける。 「愛称で呼べと?まだ出会ったばかりだと言うのに…」 「親しき仲にも礼儀あり、と言うだろう?アルフィー。」 アルフレッド、嫌、アルフィーは頭を抱えながら「それは意味が違うのではないか?」と指摘した。 「まあ細かいことはさておき……早速買い出しに向かいたいのだが……」 「ちょっと待って。」 アルフィーの言葉をリアムは遮る。 「その前によろしくの挨拶をしていないじゃないか!このままじゃ良好な関係は築けないと俺は思う。」 ……なんと扱いづらい少年であろうか。 アルフィーは小さなため息をつき、落ちてしまった紳士帽を拾って頭の上に乗せた。 「……これからよろしく。ミスター・ウィリアム。頼れる用心棒殿。」 リアムは分かりやすい青年である。そのグレーの瞳は星を映したようにきらきらと輝いていた。 「こちらこそよろしく!アルフィー!」
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