レモ「ン」とスイミ「ン」グ

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 いつも、ずっと、足がもつれたように生きてきた気がする。  いつからか。  ずっと。ずっと。  だからか、たまにうまく走れたときには、レモンの香りがした。どこからともなく漂う、清廉な香り。  そう、「走る」ってのは一つの例で、「泳ぐ」でもいいんだ。うまく泳げたときにも、やっぱりレモンの香りがする。  そんなふうにたまに気持ちよくゴールに辿り着けたときも、君はやっぱり無愛想なままで。  こっちを見ているんだか、見ていないんだか。  まったくもう、コンクリートの欠片でも投げつけたくなる。  というか、投げつけたこともある。  幸い、当たらなかったけど。  君は足元に転がったコンクリートの欠片を興味なさそうに見て、ひょいと拾い上げた。  「人生、拾いもの」と君は言った。「そんなに焦って走って、どうする? 何事も腹八分目」  焦っている訳じゃない。  どちらかというと、日々、腹六分目ぐらい。何事も多くは望まない。それが、がっかりしないで生きていく処世術。  そもそも、血沸き肉躍る人生なんか最初から望んでいないけどさ。  それでも、たまには、走りたくなるんだよ。  「絶対臥褥期を過ぎれば、自分から動き出しくなる」って、言うじゃない?  「キャッチボールでもしようか」  君は相変わらず無愛想のままで言う。君は手にしたコンクリートの欠片を僕に投げつけようとする。  「何すんだよ」  「キャッチボール」  「当たったら、めっちゃ痛いだろう?」  「でも、さっき俺が避けたのは偶然で、お前だって当てるつもりで投げてきたじゃないか」  そうきたか。  「走り出せ」  君は相変わらず無愛想のままで言う。  「お前がどっちの方向に避けるかは分からない。どっちの方向に走るかは分からない。今まで来た道から見れば、後退したようにも見えるかもしれない。けれど」  けれど?  「お前がひたむきに走っている姿は美しい」  先ず、君が走れよ。  「いや、俺はいいんだ」  どうして?  「俺が走る姿なんか誰も興味ないから」  そんなこと……。  「ない」とまで言えなかった。そんな無責任なこと言えない。  コンクリートの欠片が僕の足元に転がる。  僕もひょいと拾い上げた。  今度は僕の番だ。  君は相変わらず無愛想のままだ。ただ、いつの間にかレモンを齧っている。世界の狭間から獲ってきたな。  レモンの香りには人を惑わす力がある。  君はにっこり笑って言った。  「さあ、走るぞ」  恥じるぞ?  「どうせ誰も見ていないのだから、気にしない。無限の彼方まで、走り続ける。お前とな。さあ、走ろう。さあ、さあ」
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