裏切り 02

1/1
150人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ

裏切り 02

私の名はセレスティーナ・サイアン。サイアン公爵家の一人娘であり、第二王子グリフィス・カーマインの婚約者だ。昨日婚約者本人から破棄を言い渡されたので、真実婚約者であるかどうかは知らないけれど、何の書類にも署名をしていないので一応は婚約者なのだろう。 『貴族の模範たる公爵家の令嬢であるにも関わらず、父親を蔑ろにし、義理の妹に嫉妬の目を向け、虐げるなど言語道断である!!』 婚約者は酷く耳障りな言葉を大声で並べ立て、私を罵った。けれども私の心には何一つ響くことはない。 血縁上の父親は、公爵家の当主でありながら、婚前から愛人を囲い、嫁いできた妻とは初夜の契りを交わして以降、私達親子の存在を無視し続けたのだ。そんな男を軽蔑して何が悪いのか。運良く私が産まれたから良いものの、嫡子もなく、正室の許可を得られない状況で一体どうするつもりだったのか。 愛人がいる別宅に入り浸り、帰って来ない夫を待ち続けた母は、心労で若くして亡くなった。その喪が明けてすぐに本宅に上がり込んできて母親面する女を無視して何が悪いのか。 自分達親子の幸せが、本妻とその娘の犠牲の上に成立していることを知りながら、人の感情を逆撫でするような行動を繰り返す愚かな女を、どうして妹と可愛がることができるというのか。 あまつさえ、義姉の婚約者を奪い取るとは流石は妾の娘かと称賛したいところだ。 『そのような心根の卑しき女を我が妃に迎え入れることなど出来ぬ。よって、そなたとの婚約は破棄させてもらう!』 『お義姉様、申し訳ありません。でも、私は殿下を……グリフィス様を愛しているのです!』 一体何を見せつけられているのか、私には今一つ理解が出来なかった。王命による政略結婚を自分達の意志で覆せるわけがないのだが、馬鹿みたいに声を上げて彼は言い放った。更には殿下の取り巻きである側近達も口汚い言葉で囀る始末。 けれども、殿下のみならず容姿や好みまで系統の違う側近達をも懐柔するとはフラビアは随分と守備範囲の広いこと。顔が良いという共通点があるのか。まぁ、以前から遊び歩いているという話を聞いていたから驚きもしなかったが。 我がコロル王国の法律では、女が家督を継ぐことを認めていない。サイアン公爵家の跡継ぎである私は婿を取る必要があった。だから10歳の時に同じ年齢の第二王子と婚約したのだ。婿入りする王子を支える為に、それから私は領地経営の勉強を始めたのだ。そして成人となる十八歳を迎えた翌月に婚姻式を予定している。 現状、国王の後継者は指名されていないが、順当にいけば第一王子が立太子するだろう。第二王子が婚姻によって臣籍降下したのと同時に、正式に決定するという話だ。 まさに絵に描いた政略結婚。誰もが納得するストーリー。ハッピーエンド。 しかし、最も恩恵を受ける主役の一人が台無しにするなんて、誰が思ったことでしょう。 彼らが私に宣言したのは王妃の庭で、私は王妃殿下にお茶に呼び出されていた。基本的に領地で過ごしているのだけれど、社交シーズンを前に新調するドレスについての確認など様々な報告があったからだ。 伝達事項を終え、他愛もない話題を交わしているところに彼らは現れた。約束も無しにやって来て唖然とする妃殿下や侍女達を尻目に、彼らは私を罵った。殿下どころかフラビアや側近達の侵入まで許すとは、警備の者は酷く罰せられることになるだろう。 そしてグリフィス殿下は私の心根の貧しさについて取り沙汰し、婚約破棄を宣言した。フラビアはグリフィス殿下への愛を叫び、私に許しを請うのだけれど、内心では勝ち誇っていたのだろう。一瞬浮かんだ笑みは卑しさが滲み出ていた。 どうにか正気に戻った妃殿下によって私は公爵家に帰され、グリフィス殿下とフラビア、側近達は事情を聴くという名目で、王宮に軟禁されている。 そんな昨日起こった茶番劇を思い出しながら、私は額に手を当てたまま深く息を吐いた。 グリフィス殿下との婚姻は政略結婚だ。それ以上でも、それ以下でもない。サイアン公爵家を発展させ、王家との縁を結び、家を次代に繋げていく――男女の恋情を介在させる必要があるかと問われると否である。もちろんあれば幸せだが、無くても支障はない。母の惨めな最期を思えば、仕事なのだと割り切った方が幸せに違いない。 恐らくグリフィス殿下は両親や兄である第一王子に説得され、婚約は継続され、予定通り婚姻に至るのだろう。何故なら、フラビアと結婚したところで王家は何も得るものなど無いのだ。多少なりとも頭が回る人間なら、気づいてすぐに手を引くような事故物件である。 けれども、己の娘が事故物件である自覚のない製造責任者が、迷惑にも日が昇るとすぐに私を訪ねてきたのだった。 +++++ 目の前には青い顔をした中年女――フラビアの母親が体を震わせて座っている。 本来ならば口を利きたくもないが、使用人が勝手に部屋へ通したのだ。王都の使用人は、公爵の後妻と娘を大切にしているようで、領地に入り浸る跡継ぎを顧みないようだ。公爵家に長く務める気はないのだろう。もちろん私は他に移る際の紹介状を書いてやるほど優しくはない。 「……娘を、娘を許していただきたいのです」 フラビアの母親は、娘が王宮に留め置かれている事実を前に混乱しているのだろう。冷静さがあれば私の許しを得たところで娘が帰って来ないことくらい分かるはずだ。そして歯止めとなるはずの公爵もまた、事情聴取の為に昨晩は屋敷に帰って来なかったから私のところに来たのだ。 「私は何もしておりません」 「それでは何故、フラビアは戻ってこないのですか!?セレスティーナ様が国王陛下や王妃殿下に何か仰ったのではないのですか?」 「あら?フラビアは私に何か言われて困るようなことをグリフィス殿下としていたのかしら?」 正直、体の関係があったと言われても別に驚きはしない。 フラビアは我慢が利かない短絡的な娘であるし、グリフィス殿下もまた王太子にならないが故の自由と両親からの注目を得られないことへの鬱屈な思いが、快楽へと流される嫌いがあることに私も気づいていた。 「そのようなことは決して……あの子は純粋にグリフィス殿下を慕って……」 「フラビアは、姉の私が自分を苛めるのだと言ったそうよ。おかしいわねぇ、私は殆ど領地暮らしで、あの子は王都から出たことも無いのに。一体いつ苛められたのかしら?社交シーズンに戻って来ても、貴女がたが晩餐室で食事を摂っている時、私だけ自室で独りぼっちでしょう?ここの使用人達は貴女がたへ配慮をしているのか、私が部屋から出ないように口うるさくって嫌になるわ」 視線をくれてやれば、使用人達は体を震わせて目を逸らした。 「本当、頭が足りないくせに、男に擦り寄る術だけは長けているのだから……公爵家よりも売春宿に住む方が向いているのではなくって?」 「あの子を!フラビアを身持ちの悪い女のように言わないでください!」 「親の欲目というものがあることは知ってはいたれど、あまりに現実と乖離し過ぎる評価は感心しませんわね」 フラビアはグリフィス殿下の他にも、エスメラルダ侯爵家の次男や、現騎士団長の息子、王立学院の神童、女性に人気の貴公子達の心をつかんでいる。それぞれ出自も気性も好みも違うと言うのに、情熱的に愛を囁かれるフラビアは、年頃の女性に殺されても仕方がないほどの妬みを買っていた。 「貴女は行けないから知らないとは思うけど、社交界ではサイアン公爵家には毒薔薇に擬態した雑草が咲いているって有名ですのよ?」 「何ですって!!」 目の前の中年女は王宮などで催される舞踏会など正式な席には出席したことが無い。私的な集まりに公爵のパートナーとして参加することはあるが、女性達には無視されている。名門貴族の妻を気取る癖に、教養もなければ礼儀も知らない、老いてしまえば霞んでしまうような容姿だけを頼りに乗り込んできた馬鹿な女を相手にすれば、自分まで落ちぶれてしまうとでも思っているのだろう。とても懸命な判断である。 「きっとすぐに帰って来るわよ。そうね……きっと十年くらいの修道院生活を命じられてね」 「どうしてフラビアが!!」 「貴族のフリをして王子を惑わしたからよ」
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!