裏切り 03

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裏切り 03

「貴族のフリをして王子を惑わしたからよ」 利点の無い婚姻を王家は許さない。 フラビアの父はサイアン公爵ではあるが、母親は平民だ。元は子爵家の令嬢だったらしいが、親の反対を押し切って妾となった娘を子爵は許すことは無く、勘当したのだとか。とても真っ当な常識をお持ちなのに、こんなに愚かな娘を持ってしまったのはお気の毒なことである。 つまり、貴族と平民との結婚は許されていないコロル王国において、サイアン公爵とフラビアの母は婚姻を認められていないし、フラビアはあたかも公爵令嬢であるかのように振る舞ってはいるが、実際は平民の私生児に過ぎないのだ。だから正式な会合には呼ばれることはない。籍が無いから呼ぶことができないのだ。 名門貴族であるサイアン公爵の後妻が平民などというスキャンダラスな話題が、どうして社交界で出回らないのかずっと不思議に思っていた。けれども昨日の王妃の様子で腑に落ちた。王妃は後妻が平民であることを知っていた上で、口止めをしていたのだろう。愛人を蹴落として、正式な後妻になろうとする者達を退ける為に。 涙ぐましい母の親心など知りもしないグリフィス殿下はフラビアと結婚したところで、自らもまた平民に成り下がるだけの話だというのに気づいていないらしい。無知とは恐ろしい。けれども国王陛下達がそれを許すとは思えなかった。 国王は恐らくフラビアに修道院へ行くように命じるだろう。どこの修道院を選ぶのかは分からないが、少なくとも数年から十年ほどは修道院で過ごすことになるに違いない。グリフィス殿下と私との間に何人か子供を作るか、フラビアが花の盛りを過ぎて子が産めなくなるまでか――あの陳腐な茶番にしては残酷な結末と言える。 「ねぇ。仮に殿下とフラビアが真っ当な恋愛をしていたとして、私の居場所を奪うことが出来ると思っているの?」 サイアン公爵家とセルリアン侯爵家の血筋を持つ正当な後継者と公爵家の血を持つものの貴族籍は無い平民。 「フラビアなんて容姿と若さ以外に、何の取り柄も無いじゃない」 社交界の流行を作るのは、貴族女性達である。彼女達から爪弾きにされているこの母娘は手を出すことが出来ず、また素養も伝手も無いので流行を作り出すことも出来ない。 「学問も平凡……いいえ、あれは人並み以下ね。優れた容姿を持つのに流行も人の後追いばかり。おまけに女性同士の会話なんて出来やしない」 例えば今最も旬な話題は『公爵家の次女は、姉の婚約者に擦り寄るばかりか、次々と見目麗しい貴公子達を手玉に取る悪女』である。『毒薔薇』と称されているものの、内心では『阿婆擦れ』やら『淫売』といった、どうにも口に出すには憚られるような感情を持っているのは容易に想像がつく。 「修道院に行ってしまったら、頼みの綱の若さもお終いね」 「……グリフィス殿下は、娘の本質を見てくださったのです。そのように薄汚い発想をされる公爵令嬢が殿下の婚約者として相応しいとは到底思えませんよ!」 この女は私に対して一矢報いたつもりなのだ。グリフィス殿下の名を出して私を貶めれば、怖気づくと思ったのだろう――笑わせてくれる。 「グリフィス殿下に私が相応しいんじゃないわ。私の結婚相手として王族が相応しいのよ」 「そうやってまた王子殿下の肩書ばかり!何て冷たい方なのかしらッ!!」 私は思わず笑ってしまった。それを皮切りに、無性に可笑しくなってしまって、扇で口許を隠すのだけれど笑いを止めることは出来ない。 「何が可笑しいのですかッ!!」 「だって、貴女だって同じでしょ。サイアン公爵の地位を目当てに子爵家を捨てた阿婆擦れが、笑わせないでよ」 「そんなことはありません!私と公爵様は本当に愛し合って……」 「愛し合っているのに、新しい愛人が出来るというの?」 「――ッ!?」 「私が知らないとでも思っているのかしら?公爵の新しい愛人は、ベルディグリ伯爵家のジニア夫人よね」 サイアン公爵は元々の気質が好色だったのだろう。年を取ったフラビアの母を愛しているフリをしながら、新しく若い愛人を作っている。ジニア夫人は40歳年上の伯爵に嫁いだものの、一昨年に夫と死別した未亡人である。年老いた夫を献身的に支え、最期を看取った彼女に義理の息子は感謝して年金を与え、生活の面倒を看てやっているらしい。未亡人とはいえ、まだ23歳の彼女は若々しく、苦労したが故に儚げな人なのだろう。立場の弱い女が好きなサイアン公爵らしい選択だ。 「サイアン公爵が心から愛しているのは自分だけで、ジニア夫人は性欲処理だと本気で思っているのかしら?」 「……」 「おめでたい頭をしていらっしゃるのねぇ。まぁ、教会にも認められていない愛人風情が、使用人に傅かれて勘違いしてしまったのだから仕方がないわ。領地での勉強が忙しくて王都の使用人まで手が回らなかったけれど、今後はサイアン公爵家の女主人として、使用人の人事については私が監督するので安心なさってくださいね」 王都の使用人達は知らなかったのだろう。青い顔をして私とフラビアの母を交互に見ている。これまで公爵家の貴婦人と崇めていた女が、まさか平民の居候だとは思ってもみなかったに違いない。しかも人事権が私にあるとあっては、これまでの行いを鑑みれば、解雇の文字が頭には浮かぶのも当然である。 「せめて男児でも産めば、寄子達からの後押しで正式に後妻になれたかもしれないけど、王家が許さないから無理ね」 我が国では、庶子は正妻の許可が無ければ跡継ぎには認められない。かつて入り婿を迎えた家で、その家の血を引く正妻の子供を皆殺しにし、婿の妾だった女が家を乗っ取ろうとした重大な事件があった為に、そのような法が生まれたのだ。血統を守る為には仕方ないだろう。 「――?それは一体どういう意味で……」 「私が王子と婚約している以上、公爵家に男児が生まれれば後継者問題が起きるでしょう?だからきっと、貴女が子供を産めないように細工をしているかもしれないわ」 所詮は推論に過ぎないのだが、フラビアの母は心当たりでもあったのか、自分の侍女を睨みつけた。 「まさか貴女が……」 「お、奥様!!違います!私は何もしていません!!」 「ずっとおかしいと思ったのよ!!」 フラビアの母親と侍女の言い争いを眺めながら小さく欠伸を掻いた。昨日も茶番に巻き込まれ、今朝もまた茶番に巻き込まれた。いい加減うんざりする。 「さぁさぁ、内輪の揉め事は外でやってくださいな」 もう付き合いきれない。そろそろ王宮から使いが来て呼び出されるか、話を聞きつけた寄子貴族の誰かが訪ねてくるだろう。今回の件で、以前からサイアン公爵に対して不信を抱いていた者達が離反する可能性がある。これまでの権勢を維持するには公爵を隠居に追い込むのが妥当だが、その後釜として軽薄で思い上がったグリフィス殿下では火に油を注ぐことに成りかねない。 この時、私の頭の中には既にフラビアの母のことなどなかった。取るに足らない女だと油断していたのだ。ガタガタと物がぶつかり合う不快な音に気づいて顔を上げれば、何かを振り下ろそうとするフラビアの母と目が合う。 「あんたなんかいなければッ――!!!」 ゆっくりと近づいてくるように見えるのは棚にあった置物だった。庇おうと手をかざそうとする腕の動きは更に遅い。そうして脳裏にはこれまでの人生が走馬灯のように浮かんできたのだった。 母を裏切ったサイアン公爵は、今度は母を苦しめた愛人まで裏切った。 愛人は公爵に裏切られ、王家に裏切られ、頼みの綱の娘も当てにならない。 私の婚約者は誘惑に負け、私を裏切り、義妹は虚栄の為に、私を裏切った。 本当に私の人生は誰かの裏切りばかりで構成されている。 私は誰も裏切っていないのに、私の周りには裏切り者しかいない。それが覆ることは一度としてなかった。 「あぁ、つまらない……」 そして私は意識を失ったのだった。
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