1 夏が心を乾かしていく

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「あー、汗かいた。怜央のせいで」 「ははっ。まだ春なのにな」  ちっとも悪いと思っていない様子で、怜央はカゴから二つの鞄を取りだした。その首筋にも一滴の汗が伝っているのが、僕の目に映る。  怜央の言う通り、季節はまだ春。  夏の前には、長い梅雨が必ず横たわっている。  でも僕には、梅雨が近づいているというよりも、夏が近づいてるのだという実感が強くあった。  僕は、夏が好きだ。  じくじくと膿んだ心を、からりと乾かしてくれる、夏。  怜央は宣言通り、テリヤキバーガーを頼んだ。  僕はいつも通り、プレーンのハンバーガーを注文する。  キム、と無機質なゴシック体で書かれた名札をつけたアルバイトの男が、「またか」とでも言いたげなつまらなそうな顔でレジを打つ。  それももう、僕たちにとってはすっかり見慣れた光景になっていた。  まもなく二つのバーガーをのせたトレイが出されると、僕たちはセルフサービスの氷水へと一直線に向かう。  客単価が低いことこのうえなくて、店には申し訳ないが、仕方がない。  これが一般家庭育ち・アルバイト禁止の高校に通う学生のリアルな財布事情だった。 「いただきます」  怜央は丁寧に手を合わせ、テリヤキバーガーに向かって軽く頭を下げる。  そして乱暴に包みを開くと、豪快にかぶりつく。  そのギャップが僕は好きだった。  怜央のひとくち目を見届けると、僕はぼそぼそと小さい声で「いただきます」と呟き、声と同じくらい小さい一口でハンバーガーをかじった。  口の中の水分をかっさらうようにぱさぱさとした、二人の通学鞄のようにうすっぺらいバンズ。  これが僕にとっては、何よりのごちそうに思えた。  大きなひとくちを飲み込み終えた怜央が、口の端についたソースを舌でなめとる。 「最近、姉ちゃんがあんま家帰ってこないんだよね」 「え、それ大丈夫なやつ?」 「ああ、別にたいしたことないけど。一応連絡は入れてくるし、単に大学生になってはしゃいでるだけなんだろうけどさ」  怜央の姉、美緒(みお)さんは、この春大学に進学した。  都内の私立大学で、怜央の家からは一時間以上かかるのだが、そのくらいであれば通学圏内ということで、今でも実家で暮らしている。  本人は一人暮らしをしたがったのだが、あまりに生活能力がないからと、母親が反対したらしい。  その意見に機嫌を損ねた美緒さんだったが、家賃相場を調べているうちに、いい暮らしをするにはお金がかかりすぎることに気付いたようで、今は文句を言いながらも実家から通っている――というわけである。  その文句が行動になって、こうして外泊を頻繁にするんだろう、と怜央は僕に推測を披露してくれた。 「もともと親子仲は悪くないからさ。つまらない喧嘩はしょっちゅうだけど、意見言い合えるだけいい環境だと思うし、そのおかげで大きな問題が起きてないんだと思うから」  怜央は、高校二年という年のわりに大人びた意見を述べる。 「まあ、そうかもね」 「うん。問題があるとすれば、連絡が遅いことなんだよ。ただでさえ俺はこうして間食して帰ってるのに、すでに作っちゃった姉ちゃんのぶんの夕食があると、傷みやすいのは俺が食べるはめになるからな。そのうえ母ちゃんは賞味期限ぎりぎりのもんばっか使うし」
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