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1 夏が心を乾かしていく
うすっぺらい鞄がふたつ、カゴの中で揺れる。
かすかに土のにおいのする生ぬるい空気を、年季の入った自転車がかきわけていく。
畑は濃い緑に染まっている。
午後四時の西日を緑が反射している。
見慣れた町の、見慣れた景色だ。
「……あー、ハンバーガー食いてえな」
自転車の持ち主である茅原怜央は、交差点の直前で突然そう呟き、うしろを歩く僕の返事を待たずにハンドルを切った。
だいたい週に二回はこうして、怜央が先導して寄り道をする。
十回中八回は、チェーンのハンバーガーショップが目的地。
残りの二回は、何かちょっといいことがあったとき、もしくは、ちょっと悲しいことがあったとき。
そういうときには、すっかり顔なじみになった腰の曲がった女性、千枝さんが一人で切り盛りしている、小さなお好み焼き屋が目的地になる。
二、三時間もすれば夕食だというのに、そんなことは僕たち二人ともお構いなしだった。
食べ盛りの高校生といっても僕たちは帰宅部。
朝も放課後もグラウンドを走り回っている運動部に比べたら、消費カロリーなんてたかが知れている。間食をするのに見合うようなものではない。
加えてお好み焼き屋に行った日は、その煙をたっぷりと吸い込んだシャツのせいで、僕は必ず母親の小言をもらうはめになった。
でも、そんなこともどうでもよかった。
食べながらだらだらする時間――怜央と過ごす時間が大切だから。
一点の異論もなく怜央に倣って左折しながら、昨日よりも空が少し明るいような、そんなことないような――と、僕は妙に情緒的なことを考えていた。
もちろん空の色が昨日と違うかどうかなんてわからない。
昨日、一昨日の空と昨日の空を比べた時間が、今この時刻と同じなのかどうかもわからない。
でも、昨日は一昨日より、今日は昨日より、夏に近付いていることはたしかだ。
その事実は感情に作用して、僕を売れない詩人のような気分にさせる。
――カラカラと車輪が一回転するごとに、そのぶんだけ、夏が近づいている。
僕は心の中でそう呟いて、車輪よりも少し歩く速度を速めた。
「またチーズバーガー?」
「うーん、今日はテリヤキバーガーの気分かな」
僕の質問にそう答え終わるか終わらないかのうちに、怜央はサドルにまたがって、立ち姿勢で思い切りペダルを踏みこんだ。
自転車は僕の鞄をのせて、チチチ……と奇妙な音をたてながら、一度詰まった二人の距離をぐんぐんと引き離していく。
風を受けた怜央のシャツの背がふくらんでいる。
「ちょっと待てって!」
僕は慌てて、薄汚れたスニーカーでアスファルトを蹴った。
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