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本人の言った通り、譲は料理ができないわけではなかった。鼻歌を歌いながらフライパンを揺する譲の横で、僕は黙々と食器洗いに徹していた。
出来上がったオムライスは、半熟の卵からチキンライスが顔を覗かせることもなく、一口食べて素直に「美味しい」という言葉が零れた。
「オムライスは知り合いに習ったから、自信あるよ」
譲は白い歯を見せて笑った。
食べ終わると、「先にお風呂入っておいで」と譲から着替えとタオルが手渡された。
これまで、譲の家に泊まったことはなかった。
夜になると家に帰るか、あるいは二人でバーに出かけていた。
今日は泊まって行くかを事前に決めてはいなかったとはいえ、なんとなくそうなるだろうと、僕の方も予想していた。
ただ、予想することと、心の準備をすることはやっぱり別だ。
僕は恐る恐る譲から、自分には大きすぎるであろう着替えとタオルを受け取った。
「……心配しなくてもいいよ。誕生日が終わるまでゆっくり過ごして、それから隣で寝よう。それだけだから」
その言葉にほっとした顔をしてしまったことに、敏い譲は気付いていたに違いない。
本音を隠せない自分を恨み、しかしだからこそ譲の自分への強い思いを確認することができたのだと、そう考えてしまう自分の醜さを排水溝に流すように、念入りにシャワーを浴びた。
僕が髪を乾かす間に風呂から上がった譲は、タオルで髪を拭きながら冷蔵庫を開け、反対の手で缶ビールを二本取り出してローテーブルに置いた。濡れた髪は黒く見え、いつもの茶髪とは違った印象を与える。
片手でプルタブを開ける譲に「髪は」と問うと、譲は「ドライヤーあんま使わない」と答えて、缶を僕に渡した。……僕にはドライヤーを貸してくれたのに。
「はい、誕生日おめでとう。かんぱーい」
「あ、ありがとう……。乾杯」
喉を鳴らす譲を横目に、控えめに缶を傾ける。苦味が口の中に広がり、鼻に抜ける。
「どう?」
「……苦い」
「はは、まあすぐ慣れるよ。そうだ、これあげる」
譲はテレビ台にしている棚の引き出しから指輪を取り出すと、晃の人差し指にはめ、「うわ、ぴったりじゃん」と笑った。
「これ、譲がいつも変なとこにつけてるやつじゃないの?」
「変なとこって言うなよ、ファランジリングって言うの。いやー、ちゃんと買おうとも思ったんだけどさ。あんまりこだわると、ちょっと重くて晃は嫌かなあと思って。それに俺の誕生日に、律儀に悩みそうだし」
譲は軽い音をたてて缶を置く。
「……嬉しい」
「そう? ならよかった」
ビールなんかじゃ酔えないな、と言いながら譲はまた冷蔵庫に向かった。譲が三本目を空にするころ、僕は漸く一本目の缶を空けた。
溺れないように注意深く、譲のキスに応えた。
心配しなくてもいいという言葉を守って、譲はいつまで経っても、手以外の僕の肌に触れなかった。彼の欲を、彼の気持ちごと、僕は見て見ぬふりをした。
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