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私は困惑した。メンテナンス作業を終え、帰宅している最中のはずだった。
何時間にも及ぶ作業で脳みそが溶けてしまったのだろうか。
目の前には口をぽかんと開けて、唖然とした様子で突っ立っている女がいる。
どろどろに溶けた記憶のスープの中で何かが引っかかった。
幼い頃、一緒に遊んでくれたり、勉強を教えてくれたり、何かと世話になったのではなかったか。ああ、どうりで見たことあると思った。
思い出が一気によみがえり、どこか懐かしい思いに駆られる。
「あんた誰よ! どっから入って来たの?」
彼女の叫び声で思考を遮られた。
「こっち来んな! キモいの!」
「キモいの?」
思わず、両手を挙げる。抵抗するつもりはない。
それでも、彼女はほうきを抱えたまま、怒鳴り散らす。
「何なのよアンタ! 警備は何してんのかしら!」
そういえば、ここはどこだ。自宅ではないことは確かだ。
帰宅途中に迷い込んでしまったか。
見慣れた感じはするのだが、ここは一体どこだ。
「さっきから何の騒ぎだ!」
大声を聞いて警備員が駆け付けた。
ああ、これはまずいことになった。
「ちょっと、アンタら何やってんのよ!
何でこんなのが入って来てんのさ!」
「うげ……貴様、何者だ! どうやって侵入した!」
「侵入って、ちょっと待て! 私は何もやっていない!」
「何を馬鹿なことを! どうやって突破しやがった!」
警備を突破するも何もない。と言いたいところだが、説明がうまくできない。
自分でも知らない間に来てしまったと言ったところで、誰が信じてくれるのだろうか。私は走り出した。
「アイツを捕らえろ! 逃がすな!」
広場を進んでいくと、建物が見えてきた。
迷わず、そこに飛び込んだ。
幸い、人はいなかった。木造の廊下がまっすぐに伸びている。
このまま留まっていても仕方がない。
屋敷の中に入ってから、分かってきた。
建物の構造が頭の中でよみがえってくる。
見慣れた景色が目に飛び込んでは流れていく。
そのまま進み、どこかの部屋に入り込んだ。
窓の下で警備兵が辺りを見回している。私を見失ったらしい。
「どこ行きやがった……おい! 手分けして探すぞ!」
脱出する難易度がより上がってしまったではないか。
記憶が正しければ、ここの裏口から外に出られるはずだ。
うるさく鳴っている心臓を落ち着かせる。家の中身が手に取るように分かる。
ここまで走り続けて、やっと気づいた。ここは私の家だ。
「帰って来た、のか……? 私は」
実家に戻って来た。ここに来るまでの記憶はさっぱりない。
しかし、この対応は一体なんなのだろうか。
なぜ、自分の家で追い駆けまわされなくてはならないのだ。
「それはここがどこだか知っての言動かい?」
上からの声に反射して、見上げる。
彼も同じようにしゃがむ。ずいぶんと老けているが、間違えようがない。
「よほど、調べこんだんだなあ。うん? まさかこんな場所にいるとは。
どうやら我が家族に裏切り者がいるようだ。全くもって、悲しいことだ」
そうだ、ここにいても、何もおかしくはない。
自分と似たような癖っ毛で、眼鏡をかけた男だ。
自分の親を見間違える子どもがどこにいるというのだ。
「だが、そんな奴はもう味方でも何でもないやな。
そこはきっちりしねえとな?」
笑みを消して、胸元から銃を抜いた。
額に突き付けられる。
「さて、お前は何者だ? 何でお前みたいなのがうろついてんだ?
どうやって、うちの警備連中をたらしこんだ?
金か? あいつらの家族でも人質に取ったか?
俺が誰だと思って、こんな真似しやがった? おい、答えろよ」
私は黙り、彼をにらんでいた。
「白を切るつもりかい?」
「白を切るも何も……私は何もしていない!」
「何もしていない……ねえ? 嘘つきはいけねえな! ゴラぁ!」
黒光りするハンドガンの銃口が額にめり込む。
限界なのはこちらも同じだ。
「そうやって脅せばいいって思ってんのか!
それで言うこと聞くと思ったら大間違いだ!」
しまった。つい本音が出てしまった。
いつも思っていたことが、口に出てしまった。
「ほーう……言うじゃねえか。その根性は認めてやるよ」
少しだけ笑ってみせる。にらむことしかできない。
銃を下ろす気配はない。
「旦那様! 離れてください! アイツが噂の植物人間です!」
植物人間? 冗談じゃない。何でこんなことになっているんだ。
立ち上がって逃げようとするが、足を引っかけられ、前のめりに転ぶ。
頭を押さえつけられ、銃声が響いた。
***
「旦那様、これでまちがいないかと」
いくつか写真を並べてみせた。
老若男女問わず、頭から花が咲いていた。
「彼の頭に生えていた植物を検証した結果、写真と同じものであることが判明いたしました。頭皮に種のような腫瘍ができ、頭蓋骨に根を張って栄養を蓄えている様なのです」
「なーるほど、ね。
アイツは運悪く宿主になっちまったってことか」
一枚の写真を手に取った。
東京都心でエンジニアとして就職し、日々働いているという話を聞いていた。
多忙を極めているようで、なかなか家に帰って来なかった。
つい先日、都心に住む人間たちが一斉にいなくなったらしい。
彼らは頭から花が生えており、町外へ向かっていた。
未だに住民たちは見つからず、目的も分からない。
区域は今も閉鎖され、国によって調査が進められている。
「久しぶりに顔を見られたと思ったら、これかよ」
俺は紫煙をゆっくりと吐き出した。
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