せむし男と緑のボタン

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さっきから、気になっている男がいた。 ロータリーでの待ち合わせで、ベンチに座っている時に、その男の存在に気がついた。 近くのビル脇の路地の入口の壁に、這うように立っていたのだ。 そいつは猫背の男… いや、せむしというべきか。腰は90度近くに曲がり、少し背中が盛り上がっている。 しかし老人ではない、身なりも黒系のスーツで、それに身体はかなり大柄だ。 背筋が伸びれば、さぞかし立派な紳士に見えるのではないか。 しかし気になっているのは、彼の容姿よりもその行動だ。 彼の立っている壁の2メートルくらいの位置だろうか、緑色のボタンがある。 そして彼はそのボタンを押そうとしている。 起きない身体で、手を伸ばしているのだ。 手を伸ばす、 届かない、 あともう少し、 でも届かない、 何故そんな所にボタンがあるのか? 何のボタンなのか? そしてこの奇異な男は、何故それを押そうとしているのか? 疑問は広がる。 もう数分間、そんなことを繰り返している。 他にも何人かが彼に気づき、足を止めた人もいたが、みな通り過ぎて行った。 明らかに自分なら手が届く。どうしよう、代わりに押してあげるか? 少しじれったくなっている自分に気づく。 たまらなくなり立ち上がり、彼のもとへと近づいた。 男の背後から、まさに声をかけようとしたその時、彼はいきなり立ち上がった。 いや違う、背筋を伸ばしただけだ。 それにしても、腰が伸びないんじゃないのか? 彼の身長は高く、すらっとしたモデルのような体型をしている。 「あっ」 こちらに気づいたようだ。 少し慌てているその顔は、かなりのイケメンだ。 もちろん、こっちは見上げなければならなかったが。 「もしかして、わたしを手伝ってくれようとしてましたか?」 「え、ええ… そのボタンが押せないのかと思って」 そのボタンも、今は彼の頭のあたりにあって簡単に手が届くだろう。 「ああ、すみません。実はわたし、今調査をやってまして、卒業課題用の…」 調査? 「人間同士の関心に於ける時代性の相違について、というリポートを書いているんですよ」 時代せい? 「ああ、すみません。実はわたし、未来人でして…」 と、にわかには信じられないことを言い出した。 しかし、そう言われてみれば、確かに違和感はあった。 言葉のイントネーションが微妙におかしい、口とのタイミングも少しずれている気がする。 それに、どうも口から発している感じがしない。まるで頭の後ろに透明なスピーカーがあって、そこから音声を流しているかのようだ。 そういえば、さっきは背むしに見えたコブがない。まるで初めから、ただ屈んでいただけのように。 「ああ、すみません。これは翻訳機を通してまして、あまりにも言葉の変化が大きくて。あとエフェクト映像を加えて、少し体のラインを変えていました」 心が読めるのかと思うくらい、的確に答えてくる。 「でもよかった、この時代でもまだ関心を持つ方がいてくれて」 この時代? 「実は過去へと遡って、ああやって手を貸してくださる人が、どのくらいいるのかを調べているのです。いつから人類は他人への助力に関心がなくなったかを」 他人への関心か… 「もういくつかの時代を訪れました。先ほど訪れた時代では、それは多くの方が協力してくれましたけど…」 それは、昭和の時代かな? おせっかいが多いイメージがある。 「この時代では、気にする人は少なくありませんでしたが、手を貸そうとしてくれたのはあなただけでしたね」 確かに、手を貸すかどうかは微妙なシチュエーションだったな。 それにしても、 「でも未来から、人が行き来できるなんて聞いたことないですがね」 「ああ、すみません。あなたの記憶はキレイに消去してから立ち去ります。一応、過去人には知られていけないことになっているので」 勝手に記憶をどうこうされるのには抵抗があるが、面倒なことには関わりたくない。 「ああそうだ、せっかくですから、記憶を消す前にお手伝いしていただけませんか?」 手伝う? 「次の時代の調査に行くのですが、さっきのような恰好はもうできないんですよ。その…あのような病気はもう克服した後の時代ですから。そこであなたに、わたしがやったようにボタンを押そうとして欲しいのです」 「そのボタンは、何のボタンなんですか?」 「ああ、ただの調査用の小道具ですよ」 と言うと、ボタンを捻るように触り壁から取り外した。 「あなたの身長なら、変な細工をする必要はなさそうだ。では行きましょう」 OKしたつもりはなかったが、いきなり目が眩み、何処かへと吸い込まれる感覚がした。 気がつくと別の場所、というか、これはたぶん別の時代。おそらくは未来にいた。 「次の時代です。50年後といったらいいですかね」 人の通りは先ほどとあまり変わらない感じだが、歩いてる人達といったら、 「それにしても、背の高い人が多いですね」 2メートルはあろうかという人もちらほらいる。 「この時代は、身長を伸ばす技術が確立していまして、ちょうど高身長が流行していた頃ですね」 身長だけではない、みんな整った顔立ちをしていて、それは中性的で彫刻のようだ。それにファッションも洗礼されている。 なんだか自分がひどく場違いな感じがする。 「ボタンを設置しました。お願いします」 平らな壁はなかったが、柱の一つにあのボタンが付いていた。 薄い緑の光を放っている。 確かにその位置は、自分には少し高すぎる位置だ。 ジャンプをして届くかどうかというところだ。 なんだか恥ずかしい気もしたが、とにかくボタンを、さっきのせむしだったこの男のように、押そうとしても届かないという演技をしてみた。 まあ、結果は散々だった。 「誰も協力してくれませんでしたね」 「そうですね、見向きもしません。…わかりました、他人への無関心が確立したのは、この時代ということで、結論付けます」 「じゃあ、これで終わりですか」 「ええ、どちらにしても次の時代では、あなたに手伝ってもらうことはできませんし」 「えっ? 今度は低身長が流行るとか?」 「いえいえ、次の時代では高身長が過熱しすぎて、身長は190cmに統一するという規制ができるんですよ」 身長に規制?みんな統一? 「なので、あなたは規格外になります。存在できないのですよ」 規格外! なんかひどい言われようだな。 「では、ありがとうございました」 彼は、端正な顔立ちに爽やかな笑顔をのせて言った。 … いや、そもそも彼ば男゛だったのだろうか? だが、 その未来を想像してみた。 同じ身長、みんな美形でスタイル抜群。 同じようなハイセンスな恰好で、同じように綺麗に笑う。同じように… 今叫ばれている多様化は、どこへいってしまったのだろう。 個性とは、自分のコンプレックスを、他人に肯定してもらうことだったのか? 理想が手にはいってコンプレックスがないのなら、そんな個性なんかもう必要ないということなのかな。 「それでは、元の時代にお送りします」 ああそうか、そうだったな。 とたんに目の前から吸い込まれていく感覚。 ああ、もとの時代に戻るんだな… 何かを考えていたが、夢から覚めるようにその想いは、置き去りにされていく感覚がした。 まあ、いいさ きっと、この記憶を持って戻らないということだけは、せめてもの救いなのだろうからな。
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