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余命宣告
「正木先生。私、もうすぐ死ぬんですよね?」
「楓ちゃんにも医師から余命宣告があったでしょ? 君の心臓はもってあと、3ヶ月だってさ」
「そうですよね。あと3ヶ月かぁ……世界旅行とかできちゃいそうな期間ですね」
「そうだね。一般的には、それぐらいあれば世界一周できる」
「でも、私の心臓はそれを許してくれません。不思議ですよね、同じ時間なのに、出来ることは人と違うなんて」
「そうだね。俺はせめて、君ができる事を長く維持するしかできないから……。ごめんね」
「正木先生のリハビリが私の楽しみなんですよ? 病棟って、暇なんです」
「リハビリを暇潰しという患者には初めて会ったな」
「気分を害しちゃいました? ごめんなさい。でも、本当に嬉しいんです」
「俺なんかと話すのがそんなに楽しい?」
「楽しいですよ? だって正木先生ぐらいですもん。気を使わず、こんなにフランクに話してくれるのは」
「他の患者さんとは、必ず敬語で話すんだけどね」
「私は正木先生の特別ってことですね?」
「女子高生が大人をからかうのはやめなさい」
「そうですね。正木先生がお巡りさんに捕まったら、せっかくの楽しい余命生活がつまらなくなっちゃいます」
「自分本位だな、楓ちゃんは」
「最後の3ヶ月ぐらい、わがまま言ってもいいじゃないですか」
「まだ臓器提供者が見つからないと決まった訳じゃないよ」
「正木先生。今は情報社会なんですよ? スマホがあれば、心肺の移植を希望してどれだけ待機時間があるかなんてすぐわかります」
「…………」
「平均して、3年3ヶ月。それが移植を受けられるまでの待機時間。余命3ヶ月の私だと、ちょっと頑張っても届かない期間ですね」
「楓ちゃんは、怖くないの?」
「怖いですよ。決まってるじゃないですか。なんとか高校生になれたばっかりで、本当は恋も結婚も、子供だって産みたかったです」
「…………」
「でも、それを正木先生に見せるのは違うかなって。格好悪いとこ見られたくないですし」
「別に格好悪いなんてーー」
「それに、私は正木先生に最後まで看取ってもらえるのがちょっとだけ……嬉しいんです」
「嬉しい?」
「そうです。今だって不躾に楽しく話すフリしてますけど、正木先生私の呼吸数だったり、ちょっと遠くにある心電図モニターの音聞いてますよね?」
「最近の女子高生って、みんな楓ちゃんみたいに人間観察が趣味なの?」
「さあ? 学校はほとんど通えませんでしたから」
「そうか……。次の人のリハビリもあるから、そろそろ戻るよ」
「ええ〜もうですか? あと3ヶ月で人生終わるんですから、延長サービス効きません?」
「効かないよ」
「正木先生のケチ〜」
「君にはまだ時間があるんだ。次もその次も楽しみにしててくれ」
そんな日々が1ヶ月半程過ぎた頃だった。
「やあ、起きてるかい?」
「正木先生……。嫌だなぁ。こんな機械とか管に沢山繋がれてる姿を見られるの……。酸素マスク取っていい?」
「ダメだよ。でも、お年頃だね。ICUで会おうと、何が繋がっていようと楓ちゃんの本質は変わらないよ」
「正木先生……。私ね、ずっとお父さんとお母さんを泣かせてきたの」
「…………」
「小さい頃から私が『7あれやりたい!』って言うと、何でもしてくれた。それで、夜には泣いてるの。『丈夫な身体に産んであげられなくてごめんね』って」
「…………」
「小学校の卒業文集でもね、みんなが気を遣ってくれた。『将来の夢』、『将来大物になりそうな人ランキング』とか……。他のクラスは載ってるのに、私のクラスではなかったんだ」
「…………」
「将来がない私に、みんなが気を遣って……腫れ物扱いだった」
「…………」
「だから……普通にしてくれる正木先生が、私にとっては特別なの。だから、この胸の動悸は……初恋の痛みだと思うんだ」
「それは心臓病の痛みだと思う」
「……夢も希望もないなぁ」
「俺は、夢も希望もない大人だからね」
「……正木先生? なんか痩せた?」
「マスクのせいだろ? さ、今日は座るまで心臓に負荷をかけていいって事だから、座ろうか」
「……やっぱり、初恋の痛みだと思うなぁ。こうして先生が起きるの手伝ってくれて、隣に座ってくれるだけで胸がドキドキするもん」
「それは身体を起こして心臓の負荷量が上がったからだ」
「ならーー」
「楓ちゃん?ちょっと?」
「……正木先生の心臓の音は一定だね。ズルい」
「沢山の人の目がある中で、俺の胸に頭をつけるのはマズイでしょ」
「だって、思い残したくないんだもん……」
「……ごめん。医師からリハ終了指示が出た。横になりな」
「ええ〜もう?」
「はい、おわり。じゃあまたね」
「またなんて……ないかもなんだよ、正木先生」
「必ずーーまた」
それからまた半月が経過した。
「楓ちゃん!?ーー医師を呼んで!」
いよいよ、人工心肺にて延命措置を取らなければならなくなった。
「正木……先生。会いたいなぁ……。でも、ごめんね。もう、目を開けてられないや……」
そうして、私は意識を失ったーー。
「……天井? 私、まだ生きてるの?」
「楓!」
「お母さん? お父さん?……なんで、ここどこ?」
「病棟よ。あなたは、もう大丈夫なの」
「大丈夫って……治ったの?」
「ああ、運良く臓器提供ドナーが現れてな……」
「あなた!」
「ああ、すまん。運良くは不謹慎だったな」
「……私、移植手術、受けられたの?」
「そうだよ……。だから、あなたはもう大丈夫なの。これからリハビリして、沢山やりたかった事をやろうね」
「……そっか。リハビリか。また、正木先生と二人三脚で頑張れるんだね」
「……そうよ。だから、今はゆっくり休んで」
「はい……。お父さん、お母さん、ありがとう」
そうして、私は激しい痛みと微睡の中でーー目を閉じた。
それから2週間近くが経った。
間もなく、退院だ。
それなのに、正木先生とはーー1度も会っていない。
「いよいよ退院だね。楓ちゃん、おめでとう」
「先生……ありがとうございました。あの、正木先生にもご挨拶したいんですが……」
私がそういうと、お医者様は看護師さんと目を見合わせーー引き出しから1通の手紙を取り出した。
「君の心肺はもう正常に動いている。それでも、冷静に読んでくれ。……きっと、彼の最後の思いが書いてあるはずだ」
「どういう……事ですか?」
「正木くんはーーもう退職したんだ」
「……え?」
医者が言った言葉を飲み込むのに、暫くの時間を要した。
「正木先生は……別の病院で働いているんですか?」
「それは、彼のプライバシーに関わる事だ。私達の口からは説明できない。……君宛に書かれた手紙に、書かれているはずだよ」
嫌な予感で手の震えが止まらない。
おぼつかない手つきで、便箋を開けるとーー。
『俺の心肺が君の未来になりますように』
ガサツな文字で、全てを察してしまった。
「先生の心肺は……? もしかして、急に現れたドナーって……!?」
「……彼から許諾を得ている範囲で伝えられるのは、1つだけなんだ。……君が余命3ヶ月という宣告を受けた時、彼は既にいつ命を落としてもおかしくない状態だった」
「ーーどういう、事ですか!?」
「悪性の脳腫瘍だ。……彼は、亡くなるその日までこの病院で勤務していた」
「なんで、私……!そんな事一度も先生に言われてない……っ!」
「私から彼に関して言えるのは以上です。……ただ、医者からの言葉としてはもう少しある」
「なん……ですか?」
溢れる涙と、真っ白になった頭で言葉が上手く出てこない。
これなら、まだICUに入っていた時の方が辛くなかった。
「臓器移植は、倫理的に大きな波紋を呼んでいる。中には、臓器提供を受けた人にドナーの記憶が移る、趣味嗜好が変化するなどと言った事例もあるんだ。……私は、臓器に内包されるドナーの細胞が移植後も生きていると考えているんだよ」
「先生の記憶、趣味嗜好が……」
「どうか自棄になったりしないで欲しい。心肺の移植後も管理は必要なんだ。5年生存率ーー完治とみなされる割合は9割ちょっとだが、せっかく提供してくれた『心』を、どうか大切にして欲しい」
「先生の、心……」
震える手を、左胸に当てる。
ドクンドクンと一定のリズムを刻んで、命の脈動が伝わってくる。
あの日、正木先生の胸越しに聴こえたのと同じだ……。
「わかりました……。先生、ありがとうございます。私、正木先生の『心』と一緒にあと5年。ーーもう少し、頑張ります!」
その言葉にホッとしたお医者様の笑顔。
そして嗚咽を耐える看護師さん達。
私は、『もう少し』で死ぬと思っていた。でも、最後まで人を救いたがった初恋の人と、『もう少し』人生の延長を歩めるようだ。
「正木先生、まずは5年だね。先生の心臓と一緒になら、リハビリを乗り越えられそうだよ」
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