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「またゾランの勝ちかよ」  投げ入れたこぶし大の黒い石を海の底から一番で拾い上げて来たおれに、波間から顔を出した友人たちが口々に叫んだ。ズボンひとつで飛び込んだ海で、誰が一番深く潜れるのか、一番先に石を拾い上げられるのは誰か。  魚を捕まえたり、貝を拾ったりもするけれど、毎日飽きることなく繰り返す遊びは、石拾いだった。 「じゃあ、もう一回投げるぞ」  足で力強く水を蹴り上げて体を浮き上がらせると、おれは石を海へと投げ入れた。  一斉に潜る友人たちから、ゆっくり三つ数えてからおれも潜る。白い砂が陽ざしにきらめく海の底に、目指す石がある。石を見つけても、腕をうんと伸ばしても指先すら届かない深さにある。友人もおれもひとしきり水面を足で荒々しく叩く。それでも、一番に深く潜って石を手にした。 「またおれの勝ち!」  高々と石を掲げると、不意に日陰がおれの頭上を覆った。 「お勉強の時間も忘れて漁に打ち込むとはさすがは、総領息子。ゾランさん」  おれを船の上からのぞき込んでいたのは、家庭教師のターリブだった。細い目を神経質そうに、引きつらせている。ついでに青白い額には血管が浮き出ている。 「ゾラン、約束は守らないとな」  ターリブの隣にいたのは、長姉の婿・アリだった。日に焼けた顔は、にやりと笑った白い歯が目立つ。船を出しておれを連れ戻するのに、ターリブに協力したのだ。 「さあ、遊びは終わりです。みなさん、ゾランさんは先に帰らせていただきますよ」  ターリブの有無を言わさぬ声で、おれの楽しい時間は終わった。  浜に上がったおれは、ターリブに耳を引っ張られながら歩かされた。 「今日という今日は、勉強してもらいますよ。旦那様が留守のたびに、サボられたんじゃたまりません」 「いててっ、離してよ、ターリブっ」  ターリブは体が細いわりに力が強い。 「耳、引っ張られなくても歩くよっ」  思いきりターリブの腕を振りほどくと、その拍子に何かにぶつかって痛みが走った。続いて背後で倒れる音がした。 あわてて振り返ると、同じ年くらいの子どもの姿があった。黒髪を髷にして結い、東の国の服を着ている女の子だった。隣には、杖にすがってうずくまる男がいた。おれの腕がぶつかって転んだらしい。 「危险!」  東の言葉だった。子どもはしかめっ面で、おれを責めるように声をあげた。東の者たちは本来の肌は象牙色だ。でも女の子は日に焼けておれと同じように褐色だった。長い手足が半袖とひざ丈までのズボンから伸びている。服は古びて、お世辞にもきれいとは言い難かった。  けれど顔を見て、おれはぎょっとした。見開かれた右目は、深い藍色だった。そして前髪で少し隠れた左目は半分も開いておらず、白く淀んでいた。女の子はひとしきおれを怒鳴ると気がすんだのか、顔をそむけた。  右から見たその横顔は鼻がすっと高く、扁桃(アーモンド)型の目は日光に透けて煌めいた。なめらかな額から通った鼻筋と薄紅色の唇。顎からすっと伸びた首筋までが完璧に見えた。  まだ立てずにいる杖の男は裾の長い鼠色の服のせいで、よけいに老けて見えるが、たぶん父親だろう。子どもは慰めるような口調で声をかけ、立ち上がるのを助けている。 「ご、ごめん」  我に返って謝ると、鋭い目つきでおれを睨みつけ、そのままおれの横を通り過ぎた。すれ違うとき、あからさまに鼻を鳴らした。女の子はおれと同じくらいの背丈だった。おれは二人の背中をただ立ち尽くして見送った。 「東の者ですね」  うん、とおれは頷いた。親子は横道にそれ、すぐに見えなくなった。東の人たちが集まって住んでいるところへ行ったのかも知れない。町のはずれ、山際には東の者たちが切り開いた集落がある。 「同族を頼って村へ行くのでしょう。連中は助け合って暮らしていますからね」  さて、とターリブが手を一つ打った。 「旦那様が内陸のご商売から帰られたら、また勉強の成果を試されますよ。その準備も必要です。それに出来なくても、あなたは叱られるだけで済むでしょうが、わたしはクビです。もっとも、夏が終わったら、ゾランさんは町の学校へ行くわけですし、わたしは仕事を失います」  ターリブの深いため息にうんざりした。父さんは商売人だ。代々家族で漁をしていたが、今では船を持ち人を雇い、漁場を仕切っていた。 「旦那様はあなた様に期待されているのですから」 「おれじゃなくて、姉さんたちの婿に任せればいいんだよ」 「……お母さまにも、同じことを話せますか」  ターリブのとどめの一言だ。母さんのことを持ち出されては、口をつぐむしかない。  でも、読み書き計算よりも海で遊ぶ方が好きなおれは、一日を勉強に費やすことなど苦痛でしかなかった。  今日こそ、真珠貝を獲ってきたかった。目星をつけている貝があるほうの海をなんども振り返った。港から離れた、崖下の海中に大きな真珠貝を見つけたのは数日前だ。波も荒くて、深いところにある。あそこまで潜れるのは、きっとおれくらいしかいない。そう思っていた。  他の連中に取られることはないだろうけれど、気が揉める。  しかし、その日は引きずられて帰るしかなかった。
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