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8.背中とブレーキ
『なにやってんの?』
聞き覚えのある気怠そうな声に、あわてて振り向くと――
やっぱり、副部長がいた。
(この状況、出待ちしてたみたいになってる……)
と言うのも……、営業部のオフィスに入る勇気が持てずにドアの前に突っ立ったまま、はや数分。
傘を返して、お礼にと買ったおせんべいを渡すだけ、ただそれだけの事なのに。
副部長との会話を何度もシミュレーションしているうちに、後ろからまさかの本人登場だなんて……恥ずかしすぎる!!
「あ、あ! お疲れ様です。あの、お借りしてた傘を返しにきました」
心の準備もできていないまま、私は片手で持っていた折りたたみ傘を両手に持ち替えると、頭を下げて手渡した。
「別によかったのに……」
そう言いながらも、副部長はゆっくりと傘を受け取ってくれる。
「あ、あと、これ! おせんべいなんですけど……」
副部長を意識するあまり、目を見ることも儘ならず。
手さげ袋に視線を向けて、差し出した。
「なんか、わざわざどーも」
いつも以上に抑揚のない声。
(もしかして、おせんべい嫌いだったのかも……)
不安になり恐る恐る顔を上げるも、表情ひとつ変わらない。
甘いものが苦手な男性は多いけど、お煎餅なら副部長もきっと食べてくれるはず。
そう思って、デパ地下でさんざん悩んで買ったんだけど……。
って、私みたいな庶民が選んだ物なんか、気に入ってくれるわけないか。
「で、ではお疲れ様です」
連休明けで忙しいはずの副部長に、これ以上時間を取らせる訳にはいかない。
慌てて笑顔を作り会釈をしてから、早々に立ち去ろうとした時だった。
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