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「あ! そうだ」
「は、はい?」
慌てた声に呼び止められて、振り向くと。
副部長は珍しく、物言いたげな顔をしていた。
いつもなら、何の躊躇いもなしに容赦ない言葉を浴びせてくると言うのに……。
今日は言葉を選ぶように、口を開いた。
「また、残業手伝ってもらっていい?」
「え? あ、はい! もちろんです!」
相変わらず、依頼というより命令口調。
それなのに、目をそらしながら伝えるその仕草からは。
不器用な副部長の優しさが感じられた気がして……。
「お疲れ」
副部長はそれだけ言うと、すぐに背を向け、オフィスへと戻っていく。
その背中は思ったよりも広くて、もう少しだけずっと眺めていたかった。
ビルを出ると、夕日はあと少しで沈もうとしているのに、夏の空はまだ明るい。
連休中はドラマを観ていても、副部長の事ばかりが頭をよぎり、気が気でなかっただけに、肩の荷が下りた気分だ。
しかし、またお仕事をお願いされる事になるなんて、思ってもみなかった。
副部長のあの性格からして、社交辞令で言っているとは考えにくいし……。
やはり、私の仕事ぶりを評価してくれていたのかもしれない。
酔っていた時のことは何も覚えていないって言ったけど。
あの時褒めてくれたのは、あながち嘘なんかじゃなくて……!
しかし、浮き立つ気持ちとは裏腹に、これ以上副部長に関わってはいけないと直感した。
湿気を含んだ夏の蒸し暑い風は、まるで花火大会に向かう時のような高揚感を運んでくる。
舞い上がった一時の感情に惑わされないよう、私はこの想いに必死でブレーキをかけていた。
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