8.背中とブレーキ

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「あ! そうだ」   「は、はい?」    慌てた声に呼び止められて、振り向くと。  副部長は珍しく、物言いたげな顔をしていた。    いつもなら、何の躊躇(ためら)いもなしに容赦ない言葉を浴びせてくると言うのに……。    今日は言葉を選ぶように、口を開いた。   「また、残業手伝ってもらっていい?」   「え? あ、はい! もちろんです!」    相変わらず、依頼というより命令口調。  それなのに、目をそらしながら伝えるその仕草からは。  不器用な副部長の優しさが感じられた気がして……。   「お疲れ」  副部長はそれだけ言うと、すぐに背を向け、オフィスへと戻っていく。    その背中は思ったよりも広くて、もう少しだけずっと眺めていたかった。    ビルを出ると、夕日はあと少しで沈もうとしているのに、夏の空はまだ明るい。      連休中はドラマを観ていても、副部長の事ばかりが頭をよぎり、気が気でなかっただけに、肩の荷が下りた気分だ。  しかし、またお仕事をお願いされる事になるなんて、思ってもみなかった。    副部長の()()()()からして、社交辞令で言っているとは考えにくいし……。  やはり、私の仕事ぶりを評価してくれていたのかもしれない。    酔っていた時のことは何も覚えていないって言ったけど。  あの時褒めてくれたのは、あながち嘘なんかじゃなくて……!  しかし、浮き立つ気持ちとは裏腹に、これ以上副部長に関わってはいけないと直感した。    湿気を含んだ夏の蒸し暑い風は、まるで花火大会に向かう時のような高揚感を運んでくる。  舞い上がった一時の感情に(まど)わされないよう、私はこの想いに必死でブレーキをかけていた。  
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