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「お怪我はありませんか?」
絃の瞳にはっきりと映ったのは──。
優しく問い、手を差し伸べている、母──幸乃だった。
その様子からして、きっと絃だと気付いていないのだ。
でも、容易にその手をとることは絃にはできなかった。
辛かった蘭家での記憶が蘇ってくる。
──怖い。
そう思ってしまった。
「どこか痛いのですか?」
なかなか手をとらない絃を見て、幸乃はまたも問いかけた。
「あ、大丈夫です…。」
震える声でポツリと絃が呟いたその時。
「絃。」
誰かが絃の名前を呼んだ。
「…絃?」
その名前に、幸乃の眉がピクリと動く。
そして、もう一度絃をじろりと見た。
「───っ!!」
幸乃の大きな目がさらに大きく見開かれた。
そして、差し伸べていた手を引っ込め、嫌悪を顔に張り付ける。
気付かれた───!
「あなた、絃じゃないの。そんな格好をしているから分からなかったわ。上等な着物なんて着て。あなたはボロ着でじゅうぶんなのよ。さぁ、家へ帰りましょう。」
力強く腕を引っ張られる。
──嫌だ。あの家には、帰りたくない。
ただただ、直感的にそう思った。
それだけは、確かに心の中にある絃の思いだった。
「は、離してくださいっ。」
絃が必死に抗議するも、幸乃の力は弱まることなく、強くなっていく。
ついには腕だけではなく、着物や髪まで容赦なく引っ張られた。
糸括りの髪飾りが宙を舞って地面に落ちる。
「──あっ!」
せっかく、選んだのに。買っていただいた、大切なものだったのに。
じわり、と絃の目に涙が浮かんだその時。
「何をしている。」
低く、冷たい声が響き、周りの喧騒が遠くなった。
「あなたは、九重さん!?」
紫月を目にした瞬間、幸乃が目をこれ以上ないほどに見開いて、声をあげた。
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