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「絃様。」
優しい声と同時に、部屋の戸が、コンコンとノックされた。
「はい。」
返事をすると、スッ、と戸が開いた。
「お食事を持って参りました。」
蘭家が雇っている使用人の一人、さゆりが顔を覗かせる。
と、さゆりは、絃の顔をみて大きく目を見開いた。
「まぁ!絃様、その頬は!?」
慌てたようすで近寄ってくる。
「少し、母に。」
絃が目を細めると、さゆりはぎゅっと唇を噛んで俯いた。
「また、ですか。」
その声には、怒りが含まれている。
さゆりは。さゆりだけは、絃の味方だ。
この家で唯一、絃が信頼できる存在。心を許せる存在。
さゆりは、絃に向かって頭を下げた。
「本当に申し訳ございません…。絃様がこのような目に遭っているのに、わたくしは何もすることが…っ。」
最後は嗚咽で言葉になっていない。
いくら絃が酷い仕打ちを受けていたとしても、使用人が当主の妻に何かを言うなど、できるはずがない。
もし歯向かえば、即クビになってしまうだろう。
さゆりがいなくなってしまったら、今度こそ本当に、絃の味方はいなくなってしまう。
それだけは、絶対にあってはならないのだ。
絃は、涙を流すさゆりの肩に手を置いた。
「さゆり、いいのです。あなたが泣く必要は無いと、いつも言っているでしょう。私を思ってくれる人がいるだけで、私は嬉しいのだから。」
「でも、っ。絃様は、蘭家の長女様なのですよ?こんな仕打ちを受けるなど、おかしいです。」
それは、絃も毎日思っていることだ。けれど、きっとこれからもずっと、変わることはないのだろう。
「さゆり、もう、どうしようもないのです。母は、いつになっても私のことが嫌いなようです。特にこれと言った理由がなくとも。」
絃はもう慣れてしまった。
愛されない、この悲しみに。
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