memory 1

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次の日。(いと)は、荷物をまとめていた。 この家を出るために。 (必要とされない、愛されない。ならば、私がこの家にいる価値などないのだから。それに、何よりもさゆりをこれ以上悲しませたくない。) 絃が傷つく姿をみて、顔を歪め、涙を流し、使用人の立場故(たちばゆえ)に何も出来ないことに苦しみ、葛藤(かっとう)するさゆりを、救いたかった。 別れるのは、寂しいけれど。 手紙を、そっとさゆりの部屋の机に置き、すこやかな寝息をたてているさゆりを見た。 「今までありがとう、さゆり。あなたに出会えて、私は幸せでした。」 小さく呟くと、部屋を出る。 絃は深呼吸すると、玄関への廊下をいそいそと歩いた。 あともう少しで玄関、というところで。 「何をしているの!?」 と声が聞こえた。 絃に心ない言葉を浴びせる声。 絃が、最も嫌いな声。 ─────母のものだった。 ゆっくりと振り返ると、鬼の形相でこちらに向かってくる母の姿があった。 絃は早足で玄関へと急ぐ。 「絃!」 名前を呼ばれたのは、いつぶりだろうか。 玄関の扉を開けようとした絃の手がとまる。 「勝手にどこへ行くの。」 母の問いかけに、絃は重たい口をゆっくりと開いた。 「ここではない、どこかです。」 「そんなことが、許されるわけないでしょう!?」 母が怒鳴りつける。また右手が振り上げられた。 が、もう絃は目を瞑らなかった。 パシン、と絃の手が、振り下ろされた母の手を掴んでいた。 「どうして。」 自分でも驚くほど、冷淡で低い声だった。 「いつもは私のことをないものとして扱うのに。だったら、私が出ていっても関係ないはずでしょう。」 それは、絃の初めての反抗だった。  母の顔がみるみる赤く染まっていく。 「この子は、大切に育ててもらった親に何てことを!?」 「大切に?笑わせないで。私はあなたに優しくしてもらった覚えなどありません。このようなところはもう嫌です。」 掴んでいた母の手を離し、一気に扉を開けた。 そして、走り出す。 夢中で走っていると、これまでの厳しい暮らしの記憶が、少しずつ薄れていく気がした。
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