memory 1

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部屋には、何やら資料のようなものを難しい顔で読んでいる紫月(しづき)と、(いと)の二人きりになった。 お仕事か何かなのだろうか、と思い、下手に声をかけて仕事の邪魔をするよりは、黙っていた方がよいと判断する。 ただ沈黙していると、紫月が顔を上げた。 「私は九重紫月(ここのえしづき)だ。名は?」 「あ、蘭絃(あららぎいと)と申します。」 震える声で言うと、紫月の眉間にしわが寄った。 「(あららぎ)?」 紫月の呟きに、絃の心臓がドキリと音をたてた。 「あの蘭か?」 蘭家────それは、九重家程ではないが、知る人ぞ知る、名家であったのだ。蘭家の歴史をたどれば、いくつもの時代を遡ると、蘭家にいたときに使用人から耳にしたことがある。 絃は家族として見なされなかったが。 それでも、絃はさゆりの言っていた通り、蘭の血をひく、蘭家長女だ。 「はい。私は、蘭龍之介(あららぎりゅうのすけ)蘭幸乃(あららぎゆきの)の娘です。」 服の裾をぎゅっと握り、呟いた。 「では、お前はなぜ、そんな格好をしている。」 紫月が椅子から立ち上がり、こちらに寄ってくる。 「蘭の長女がなぜ、こんなボロボロの物を着ている。」 「それは…。」 紫月の手がのびてくる。蘭と言っても、信じてもらえない容姿だ。 きっと、嘘をついたことになり、仕打ちを受けるのだろう。 絃がぎゅっと目を瞑ると、ふわ、と頭に何かがのった。 「えっ…?」 目を開けると、紫月の瞳が真っ直ぐに絃を捉えていた。 そして、頭にのっているものが紫月の手だと気付き、絃の頬が紅色に染まる。  「辛かったな。よく頑張った。今日からはここがお前の───絃の居場所だ。ここには、お前が思っているような酷いやつはいない。だから、悲しい目をするな。」 紫月が目を細める。 絃が何も答えなくても、わかっている、というような優しい響きだった。 絃はその美しさに見惚(みと)れながら、一粒の涙を(こぼ)した。
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