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部屋には、何やら資料のようなものを難しい顔で読んでいる紫月と、絃の二人きりになった。
お仕事か何かなのだろうか、と思い、下手に声をかけて仕事の邪魔をするよりは、黙っていた方がよいと判断する。
ただ沈黙していると、紫月が顔を上げた。
「私は九重紫月だ。名は?」
「あ、蘭絃と申します。」
震える声で言うと、紫月の眉間にしわが寄った。
「蘭?」
紫月の呟きに、絃の心臓がドキリと音をたてた。
「あの蘭か?」
蘭家────それは、九重家程ではないが、知る人ぞ知る、名家であったのだ。蘭家の歴史をたどれば、いくつもの時代を遡ると、蘭家にいたときに使用人から耳にしたことがある。
絃は家族として見なされなかったが。
それでも、絃はさゆりの言っていた通り、蘭の血をひく、蘭家長女だ。
「はい。私は、蘭龍之介と蘭幸乃の娘です。」
服の裾をぎゅっと握り、呟いた。
「では、お前はなぜ、そんな格好をしている。」
紫月が椅子から立ち上がり、こちらに寄ってくる。
「蘭の長女がなぜ、こんなボロボロの物を着ている。」
「それは…。」
紫月の手がのびてくる。蘭と言っても、信じてもらえない容姿だ。
きっと、嘘をついたことになり、仕打ちを受けるのだろう。
絃がぎゅっと目を瞑ると、ふわ、と頭に何かがのった。
「えっ…?」
目を開けると、紫月の瞳が真っ直ぐに絃を捉えていた。
そして、頭にのっているものが紫月の手だと気付き、絃の頬が紅色に染まる。
「辛かったな。よく頑張った。今日からはここがお前の───絃の居場所だ。ここには、お前が思っているような酷いやつはいない。だから、悲しい目をするな。」
紫月が目を細める。
絃が何も答えなくても、わかっている、というような優しい響きだった。
絃はその美しさに見惚れながら、一粒の涙を溢した。
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