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三限まで入っていた講義を受け、バイト先に向かうついでにデパートで自分への誕生日プレゼントを買うことにした。
両親と不仲で、学費も生活費も自分で出している一人暮らし初心者の大学生としては、目一杯頑張っても、自分の誕生日にそこまで出せない。
でも、それでも誕生日ぐらい自分の好きな物を買いたい。
「……香水、やっぱ高いよなー……」
デパート二階の香水屋でとても買えない香水を眺めていたら「きみ」と後ろから声をかけられた。振り向くと、知らない男性が立っていた。
身長は170cmある俺が見上げるぐらいだから、185cmぐらいだろうか。年齢は三十代ぐらいに見える。黒のタートルネックに深い緑色の細身のスーツという、ハンサムでしか似合わなそうな格好をさらりと着こなす程度にはハンサムな顔をしていた。短い黒髪を後ろに流し、丸縁の眼鏡と口ひげをたくわえたそのダンディーなおじさんは、俺を見下ろして「困った……まさかこんなところで、……」と呟く。
「なんすか?」
「……きみは、大丈夫か?」
「え、なにが? ……ん?」
ふわりとその人から良い匂いがした。
煙草のようなスモーキーな匂い、革製品のような渋い匂い、それから少しバニラのような甘い匂いがする。南国の夜みたいな香りだ。汗ばんだ体で異国の夜を薄着で歩きながら、広い空と夜景を眺めているような気持ちになる(まあ、海外なんていったことないから妄想だけど)。
とにかくそれはとても良い匂いで、俺はついその人に近寄った。
「あのー、不躾を承知でうかがいたいんですけど……」
「……どうぞ?」
「おじさん、すげーいい匂いなんだけど……」
その人は「えっ」と一歩退いた。その顔が『なにを言い出したんだこのセクハラ野郎』という顔だったので、俺は慌てて「ちがいますっ」と言い訳をする。
「俺、誕生日で、今日……香水って失敗しやすいじゃないですか。でも俺、貧乏だから失敗したくなくて……そしたらおじさんから理想的な匂いがして、……その、すいません、やっぱどう言い訳しても気持ち悪いな、俺……すいません……」
どう取り繕ってもセクハラ親父になってしまってだめだった。
でも俺が俯くと、その人はクスリと笑った。
「いや、……すまない、少し驚いただけだ。気味悪がってはいないよ。とはいえ、……この話はここでは目立つな。……こっち、おいで」
彼は踵を返して歩き始める。慌ててその後を追う。
彼はデパートの香水エリアを離れていく。その隣を歩くと、彼はチラリと横目で俺を見る。それだけで不思議と色っぽく見えるおじさんだ。
「……きみは今、香水つけているのかな?」
「つけてないです。香水買おうと思ってたからつけてきてなくて」
「そう……うん、そうだろうな、……、もし、私がつけている香水が気に入ったなら、分けようか? このデパートには入っていないブランドのものなんだ」
「え、いいんですか?」
「いいよ。買う前に、きみに合うか試してみた方がいい。高い買い物だからね」
「ありがとうございます! えへへ、金欠なんで助かります」
そんな話をしながら歩いていたら、デパートのエレベーターホールの横の階段の踊り場にたどり着いていた。大理石でできた階段は売場の光が入らないため薄暗く、他に人はいなかった。
彼はそこでもう一度「それで、きみ、本当に大丈夫なのか?」と聞いてきた。
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