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渡された服は下着以外は彼のものらしく、サイズが大きく、そしていい匂いがした。どこの香水なんだろうと考えつつ、その服をまとい、恐る恐る部屋の扉を開ける。
と、フカフカした絨毯生地の廊下が広がっていた。その先のリビングルームから美味しそうな匂いがする。そちらに向かうと、黒いエプロンを身に付けた彼が食卓にご飯とお味噌汁と卵焼きとサンマの塩焼きを用意してくれていた。
「美味しそう! THE、日本の朝みたいですね!」
「その発言はあまり日本の朝らしくないけどね。和食は好き?」
「大好きです」
彼は「ン」とうめき、二度咳払いをしてから「じゃあ食べようか」と微笑んだ。俺はその安心できる笑顔を見てから「ところで、その……」と一番の疑問を言うことにした。
「お名前聞いても……」
彼は目を丸くした。それから口髭を撫でて「そこから忘れるのか」と呟くと「少し待って」と部屋を出た。すぐに戻ってきた彼の手には名刺入れがあった。
「はい、これ」
「あ、どうも」
名刺を受け取って、その文字を読む。
「株式会社ラクサバ・コンサルティング、グローバルコミュニケーション推進部部長燕 成亮さん……」
読んでもなにをしている人なのかよくわからず彼を見ると、彼は「あはは」と笑った。
「肩書きが長いよね。コンサル会社に勤めていて、特に日本企業のグローバル展開をサポートしている人ってこと」
「なるほど。燕さんは頭がよくて偉い人ってことですね?」
「その要約はおかしいかな? ……あと、コウタくんには成亮って呼んでもらいたい」
「成亮さん、……えっ、……?」
言われるままにそう呼んだら、ゾワ、と全身に寒気が走る。思わず自分の体を抱き締めてしまった。そんな俺を見て彼は口髭を撫でた。
「……もしかして、記憶にはないけど体は覚えている、とか?」
「え、……」
「何回も呼んでたからね。フフ、そっか、……それはいい」
ボソリと低く呟いたあと、彼は気を取り直すように笑顔で「じゃあ朝御飯にしようか、コウタくん」と言った。聞きたいことはたくさんあったが、その前に俺の腹が「グウ」と返事をしてしまったので、そういうことになった。
食卓を挟んで向かいに座ると、彼が「めしあがれ」と笑う。腹がすっかり減っていた俺は「いただきます」と両手を合わせた。
まずはお味噌汁を一口、魚の出汁が口の中を泳いでいく。つみれを食べればふわりと柔らかく、口の中でホロホロと崩れていった。大根はじゅわじゅわと口のなかで甘く広がる。
「……美味しい」
「そう? よかった」
「成亮さんは三ツ星シェフですか?」
「うん、違うよ。私、名乗ったばかりだよね?」
「だって、こんな美味しいお味噌汁飲んだことない!」
「そう? そんなに喜んでもらえるのはこちらとしても嬉しいな……」
「サンマも美味しい、ご飯も美味しい、え、卵焼き、え、美味しい……!」
「……空腹がスパイスになっているのかな? フフ、可愛いな。たんとおたべ……」
聞きたいことも、聞かなきゃいけないこともたくさんあったはずなのだけど、出されたものが美味しすぎて俺は夢中になってしまった。ガツガツ食べても、何度おかわりしても、目が合うと彼はにこりと笑い、それがなんだかとても安心できて、大人の男相手に安心するなんて今まで一度もないことに恥ずかしくなって、また食べた。彼はそんな俺を「よく食べるねえ」と笑ってくれた。
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