パラリンピックへ

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パラリンピックへ

 陽毬が視覚障害者(ブラインド)マラソンを始めて半年が経っていた。  陽毬はやっぱり凄いランナーだった。彼女の全力のペースを伴走(ガイド)する為には、僕も大学時代と同様のトレーニングが必要な程だった。そして既に数回のフルマラソンにチャレンジしていた彼女の記録は非公認ながら二時間五十分と、それまでのT12女子の世界記録二時間四十ハ分に迫るタイムを叩き出していた。  視覚障害者(ブラインド)マラソン協会にも既にその記録は報告済で、陽毬と伴走者(ガイドランナー)の僕は来年のパリ・パラリンピックの選考レースへの出場が決まっていた。  この事実に僕は大きな幸福を感じていた。陽毬と一緒に走って行くという僕の夢を、パラリンピック出場という形で大きく開花させる事が出来るかもしれないのだから。  そのパラリンピック出場の想いは陽毬も同じだった様だ。選考レースへの出場が決まってから、彼女のトレーニングは更に熱を帯びていた。そして、練習走行の後、彼女は必ずこう言った。 「私を走る世界に戻してくれてありがとう。貴方と走れて本当に幸せ。一緒にパラリンピックで優勝しましょうね」  僕達は理解していた。視覚障害者(ブラインド)マラソンでは一人の伴走者(ガイドランナー)が選手と一緒にゴールまで走り切った場合、選手だけでなく伴走者(ガイドランナー)にもメダルが授与されるという事を。それは僕達の大学時代の大望(アンビシャス)だった二人でメダル取るという夢が叶うかもしれないと言う事だ。  だから僕達はそのゴールに向けて二人三脚で走り続けていた。
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