其の三

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其の三

 紅に白い菊の花をあつらえた打ち掛けに薄い同じ紅色の小袖を着た菖蒲は桜が着ている薄紅色の小袖よりも派手だ。   そんな彼女が桜のすぐ目の前まで、やってくる。 「…そなたが武田に嫁ぐのは、今すぐにでも、やめさせたいのよ。だけど、それは岩谷にとって、都合が悪い。わたくしには何もできないことになるわね」 桜の顎をくいっと上げさせる。 冷たい目で見据えられて、よけいに体がこわばった。 菖蒲は自分を憎んでいる。 それがわかった途端、力が抜けていく心地であった。 菖蒲は桜の顎から、手をはずした。 「もう、おゆきなさい。私はそなたの嫁入りを認めたつもりはありません」 冷たい声でそれだけを告げると、菖蒲は襖を開けて、部屋を出ていってしまった。 桜は小刻みに震える自分の体を抱きしめる。 縁側から、入ってきたお岩に助け起こされるまで、動けずにいたのであった。 それから、五日が経った。 後、十日という時になって、姉の梅乃が急遽、新太郎と祝言を挙げると告げにきたのだ。 「桜、わたしね、新太郎様の柴田家に嫁入りをすることになったの」 手短に言ってくる梅乃に桜は驚いて、二の句が継げなかった。 「…父上がね、桜を側室とする以上、せめて、わたしを新太郎様の正室にさせてやりたいとおっしゃって。菖蒲様もわたしとお前の祝言用の衣装を縫ってくださるそうよ」 一体、どういうことなのだろうか。 矢継ぎ早に言われても、話が見えてこない。 「…姉上、菖蒲様は私の衣装も縫ってくださるというのは、本当なのですか?」 やっと、いえたのはそれだけだった。 梅乃はこくりと肯いて、それは事実だと告げる。 「菖蒲様はね、戦で海野が負けそうになっていると聞かされたらしくて。諏訪に武田が味方をしたとわかって、ずいぶんと沈み込まれているわ」 「私が行っても、逆効果ね。姉上、わざわざ、教えてくれてありがとう」 笑顔をみせると、梅乃は驚いて、目を見開いた。 「どうしたの、いきなり。でも、武田に嫁ぐお前のことを考えると、先が思いやられるわ」 ため息をつかれて、桜は首を傾げる。 「先が思いやられるって、言われましても。どういうことですか?」 「…わからないかしら?桜は三人もの歴とした奥方のいる方に嫁入りするのよ。その方々の中に混じるというのは、酷だと思って。きっと、お前のことだから、嫌がらせをされるに決まっているわ」 桜は具体的に言われて、戸惑うしかない。 もう、十六だというのに、そういう方面には疎いのだ。 梅乃は桜をそっと、抱きしめた。 梅乃は、桜の髪を撫でる。 つやつやと柔らかな黒髪から、ほのかに香の薫りがした。 「…お前が武田に嫁いだら、もう、会えなくなるわね。後、何日かしたら、わたしも柴田家に嫁入りしなければいけないし。寂しくなるけど、元気でね」 「姉上こそ、お元気で。私の心配をしてくれるのは、もう、姉上だけになってしまいましたね」 梅乃は強く、抱きしめる力を強める。 「お前は母上にべったりだったものね。武田に嫁いだら、味方になってくれる人はいないと思った方がいいわ」 そう、ささやくと、梅乃はそっと、離れた。 桜も肯くと、姉に笑いかけた。 梅乃は泣きそうになりながらも、懐から、小さな袋を取り出した。 「これはわたしからの餞別よ。五日かけて、縫った香袋なの。お守り代わりに持って行きなさい。春の梅を表した薫りにしてみたのよ」 「…いい薫り。ありがとうございます、姉上」 梅乃はにこやかに笑いながら、部屋を出ていった。 桜は姉からもらった香袋を握りしめる。 (母上、姉上。私は武田の若殿に嫌われないように頑張ります)心中で、そうつぶやいたのであった。 それから、十日が経ち、とうとう、武田家に嫁ぐ日になった。 旅用の打ち掛けと小袖を身にまとった桜は、うっすらとお化粧もしている。 駕籠の襖が開けられて、中に入ろうとする。 「桜、達者でな」 後ろから、声をかけられた。 振り向いてみると、父の泰道が立っている。 「…父上。見送りに来てくださったんですね」 「うむ。菖蒲と梅乃が桜に、「くれぐれも気をつけて」と言っておった。弟たちも来ておるぞ」 桜が驚いていると、元服したばかりらしい少年や幼い子供たちがぞろぞろと泰道の横に並んでいた。 「…桜天丸殿、いえ、泰高殿。それに鳶丸や育丸。今王丸まで。どうしたの?」 つい、声をあげると、泰高と呼ばれた少年が顔を赤らめて、桜に頭を下げてくる。 「桜姉上。あの、私たちはもう、今日から会えなくなりますから。父上にお願いして、別れだけでも告げようと思ったんです」 泰高はそう言うと、顔を上げた。 「…菖蒲の母上が姉上に失礼なことを言ったとか。それを謝らなければとも思っていたんです。母上の代わりに謝ります。ごめんなさい」 「泰高殿。わざわざ、ありがとう。私の方からもごめんなさいと言っていたと伝えてくださいね」 わかりましたと泰高は肯いた。
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