残滓

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「美樹は、もう来られないと思います」  私が静かにそう告げると、店主は真顔で瞳を揺らした。 「実は、先日引っ越しまして。今日は鍵の引き渡しのために、私ひとりで戻って来たんです」  咄嗟にそんな嘘をついた。美樹の事故はニュースにならなかったから、知らないのも無理はない。 「そうですか……」  少しは脈があったのだろうか。沈んだ顔で会計処理をする店主を見ながら、私は考えた。珈琲店を開業するくらいだし、大学生だった美樹より相当歳上だろうが。 「荷物になりますが、こちら、美樹さんにお渡しいただけませんか? よく、珈琲と一緒にご注文いただいたので」  カウンターの上に、透明袋に入った焼き菓子が差し出された。レジ下のショーケースには、同じものに三百円の値が付いている。顔を上げると、店主は少し寂しそうに微笑んでいた。 「開店からご贔屓にしてくださった、お礼です」 「ありがとう、ございます……」  美樹を好いてくれて、ありがとうございます。私は心からそう思って、その気持ちを受け取った。 「ご来店ありがとうございました」  丁寧に頭を下げた店主の髪が、肩からさらりと流れ落ちた。  女性が一人で店を切り盛りしていくのは大変だろう。応援したい気持ちもあるが、引っ越したと告げた手前、もう来られない。
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