残滓

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 含んだ瞬間、焼きたてのクッキーのような香ばしさが口中に広がる。コロンビア産だという珈琲は、スッキリした苦味の後にわずかな酸味を残した。  素焼きのカップから口を離して微笑した私を、カウンターの向こうで店主が見ている。渾身の一杯に、満足した笑みに見えただろうか。  逆だった。  やっぱり分からないな、と思う。四十を過ぎたというのに、私は珈琲の美味しさが全く分からないのだ。仕事柄、高級珈琲店での打合せもあるが、話の合間に喉に流し込むそれを、味わったこともない。  スーツの背中を椅子の背にもたれさせ、私は目を閉じた。この小さなカップ一杯の抽出液が、六百円。どうにも笑ってしまう。  美樹もきっと、珈琲の美味しさに魅せられてここに通っていたわけではないんだろうな。私は粉を測る店主の端正な顔を盗み見ながら、そう思った。
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