あと1回

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あと1回

「炬燵ある家って良いよな。春んなって一人暮らし始めたら、俺、絶対部屋に炬燵置く」 「じゃあ、大学、受かんないとな」 「言うなよ。それを」  うへぇと言って炬燵に潜っていく幼馴染みの大地(だいち)を斜めに見下ろす。  時は大晦日。遠方に住む祖父母の見舞いやら温泉旅行やらで互いの両親が不在となり、留守と受験生を預かることになった社会人の姉は「ちょっと仕事が立て込んでて」と言い残し、旅行雑誌とボストンバッグを抱え、おしゃれして出て行った。  そんなこんなで大地と俺とだけ残されたわけだけれど、どちらかの家で二人で過ごすのなんか随分久しぶりだったから、少し、いや大分ソワソワしていた。  保育園からずっと一緒で母親同士の仲も良かった俺たちは、クリスマスや誕生日といった子供の行事を、いつもどちらかの家で、家族ぐるみで過ごしてきた。中学生あたりになるとそれぞれに友人関係も広がるし、向こうには思春期にありがちな照れが、こちらには後ろめたさがあって、母親たちは残念がっていたけれど両家が集まることは自然消滅的になくなっていった。  それでも学校に行けば相も変わらず一番の友人同士で、休み時間も放課後も当たり前に互いに寄って過ごしたし、たぶん、これからもずっと、大地に彼女ができようと、結婚しようと、別枠として壊れることなく繋がっているものだと思っていた。  だから俺は、当然の選択として地元の大学への進学を決めたというのに、大地の方はそうではなかったのだ。  熱心にスマホを弄る幼馴染みを視界の隅で意識しながら、年越し番組を見るふりをする。友達の多い奴だから、誰かと何かやりとりをしているのだろう。今一緒にいるのは俺なのに、と、そんなことにすら軽く嫉妬している重たい自分に辟易する。こんな思いを知られたくなくて身を縮める。 「……お前が東京の大学希望してるって、凄く意外だった」 「ふふん。俺には将来の計画があるからな」  その答えに、幼馴染みなんて関係性はこいつにとっては置き去りにできるものなのだと殊更に思い知らされて、喉の奥に苦い物が込み上げてくる。  将来の計画。こいつにとってのそれは、家族や幼馴染みというぬるま湯から足を抜き、自分の世界を広げていった先で展開されるものなのだ。それは至極当然の自立というやつなんだろうけれど、長年の片思いを拗らせている俺には選べない道だった。 「推薦で進路決ってる奴は良いな。明日初詣に行こうな。一緒に俺の合格祈って。んで、その後ちょっとだけ勉強見てよ。お前の方が頭いいんだし」  俺のそばを離れて行くのを祈れと、手伝いをしろと、そんなこと笑って頼むなんて残酷だ。  近くの寺でつく除夜の鐘が聞こえ始めた。もう一時間程で今年が暮れる。友達としてだけれど、慕う相手の一番近くに居られた歳月が、終わっていく。 「三学期はどうするの?」 「学校? まぁ、行かないで家で最後の追い込みだろうな」  やっぱりそうなんだ、と口の中でもごもご呟く。  もう学校では会わない。気まずいだろうが、卒業式だけならやり過ごせる。なら…… どうせ会わなくなるなら…… これを最後と思って、一度だけ、素直になってみても良いんじゃなかろうか。  それは衝動だった。  言ってみようか。  口を開きかけ、だが、長い間に拗れた思いや、男同士というしがらみが、沸きかけた頭に冷水をかける。  自分は駄目な奴だと項垂れ、それでも何度となく振絞ろうとする。  言え。次に寺の鐘が鳴ったら言ってしまえ。  言えなかった。次。次のが鳴ったら言う。  駄目だ。あと一回分だけ気持ちを整理したら、その次ので言う。明日は一緒に過ごせないだろうけれど、大地ならきっと、酷いことは言わない。本心では気持ち悪がっていたとしても、ちゃんと受け止めた上で、俺を気遣った言葉でふってくれるはず。そうゆう、気持ちの大きい、優しい奴だもの。  いや、待て。今こんなこと言ったら受験の妨げになるかな? あ、迷っている内にまた一つ鐘が……  なかなか決心がつかず、鐘が鳴るたびにどんどん厳かじゃなくなっていく。脳内は忙しくしていながら顔だけは穏やかにテレビを向いていると、隣りの面で炬燵に沈んでいた大地がむくりと起き上がったものだから、思わず身構えた。 「なあ、お前の手、どこ? 早く出して」  射抜くようにこちらの目を見据えた大地が、炬燵の上でずいと手の平を差し出してきた。指をひくひくさせる「よこせ」のジェスチャー付きだ。 「え? 手相?」  その動作も視線も、脈絡がなさすぎて戸惑う。何を求められているのか正解がわからないまま、犬が「お手」するように甲を上にして手を乗せると、ガッと掴まれた。訳がわからないまま伺い見ると、目が合った大地は白い歯を見せてニッと笑った。  何なのだ。混乱する。こういうことをするから、思いを捨てられない。泣きたくなって「やめてくれ」と絞り出した声は、小さすぎて自分の耳ですら拾えなかった。  良いや、もう。どうせ破綻するのだから、思いを吐き出してしまうまでの間、今だけ、もう少しだけ、ぬるま湯に浸からせてもらおう。  そう決めてしまうと肝も据わるもので、自分の手を握るごつごつと筋肉質な手の感触を覚えこむように味わった。
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