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My Precious,
「──なぁ、俺のツレになにしてんの?」
君かわいいね、なんて目の前に並ぶ薄ら寒い"イケメン気取りスマイル"に辟易しかけていた時、ちょうど真後ろ、少し高い位置から地を這うような低い声が降ってきた。
「そうちゃん、」
振り返ればそこには、艶めくような黒髪を後ろで束ねた美しい男。
「ケンカなら、買うけど」
俺を背後から片腕で抱くようにして引き寄せつつ、その美しい男はぐっと眉根を寄せる。⋯⋯やがて少しの間の後、形のいい唇から呆れたような吐息を漏らした。
その瞬間、目の前で死にかけの虫のよろしく震えていた男たちは正気を取り戻したように走り去っていく。
「ごめん、そうちゃん。面倒かけて」
俺の肩の上で力がこもったままの手のひらをそっと包み込んで、俺はようやく声を出した。
「いい。全ッ然、まったく面倒なんかじゃねえし」
強張ったままの声にひっそりと苦笑して、俺は再びその美しい男の顔を見上げた。噛み締められて歯の食い込んだ唇と、思いっきりしわの寄った眉間を優しく指先でなぞってやる。
「そうちゃん。もう、いいんだぜ?」
この賑やかな街中で、今のその表情はあまりにも物騒すぎる。
「⋯⋯カナ、くん」
「なに、そうちゃん。」
辿々しくこぼれ落ちた声音に、先程までの緊張感はもはや面影さえない。
秘密ごとみたいにそっと繋いだ指先が、かすかに震えているのを感じる。
「あぁんもう、すっごい怖かったぁ!!」
やがて飛び出した言葉に、俺は思わず吹き出してしまった。
「おーおー、よく頑張ったな。さんきゅ。すげえ格好よかったぜ、蒼士郎さん」
「やだ、蒼良ちゃんだから! その名前ゴツくて嫌って言ってるじゃないの!」
ぷぅっと頬を膨らませた"彼女"は、俺より頭ひとつ分高いところでやっぱりまだ何か不満を口にしている。
俺としては悪くない名前だと思うのだが、どうも彼女とは合わないようで、今では彼女自身がそう名乗るところをほとんど聞かなくなった。
「にしても、悪かったな。そうちゃん、男のフリすんの嫌だったろ」
「⋯⋯まぁ、普段は使わない慣れない言葉とか仕草をそれっぽく纏ってるだけだもの。いつボロが出るかビクビクしてたわよ」
困ったように彼女が視線を逸らす。
男の身体で生まれて以来『そう在ること』を強制され続けてきた彼女だから、せめて俺といる時くらいは自由にしていて欲しいのだ。
なのに、
「"俺が不甲斐ないから"、なんて、言わないでちょうだいね? あたしがやりたくてやったんだから。こんな素敵なカナくんを守るためなら、何だってやってやるわよ」
こんな時でさえ、彼女は俺に『可愛い』『女の子みたい』などという言葉を使わない。
女の子みたいな顔立ち、低身長と筋肉のつきづらい貧相な身体、中途半端に高いままの声。全部全部、幼い頃からコンプレックスだった。
「奏くんは奏くんだもの。とびきり素敵な、あたしだけの王子様。」
"奏"だなんて名前を俺につけた母親は、『本当は女の子が欲しかった』のだといつだか俺にのたまった。一緒にオシャレして可愛くするのが夢だったのだ、と。
けれど母のもとへ宿ったのは、心も体も男の、俺ただひとりだった。
「あら。そういえば髪、切ったのね」
さらりと俺の髪に触れて、そうちゃんが言う。
「やっとお許しが出たんだ。⋯⋯つったって、まだ完全にセミロングだけどなこれ」
俺の髪を腰に届くくらいまで伸ばさせて、母はずっと切ることを良しとしなかった。編み込みだかお団子だか楽しそうにいじりながら、奏は可愛いわねなんて浮かれて。
「そうだ、あたしゴム持ってるわよ。結んであげる」
俺の考えていることを察したのか、そうちゃんは自らの髪を束ねていたヘアゴムをさっと解いて俺の髪に触れた。
「悪い、さんきゅ」
小さく礼を言えば、そうちゃんは『いいのよ』と微笑む。彼女は、色素の薄い俺の髪をよく太陽みたいで綺麗と言ってくれるのだ。
「黒染めでもすっかな」
気分でそう言ってみれば、そうちゃんが大袈裟に声を上げた。
「んまぁ! また何か言われたの? 懲りないわね、どこのどいつ?」
そうちゃんは少し心配性すぎる。俺だってそれなりに強くなっているつもりだし、もう高校時代のように周囲からの悪意に押し負けたりしないのに。
「違えよ。そうちゃんの髪が綺麗だから、真似したくなって」
ふっと見上げて笑ってやれば、彼女は微かに目を見開いて固まる。
それから、ふんわりと綻ぶように笑った。
「カナくんはそのままで、とっても素敵よ」
「──ふは、さんきゅ。」
俺たちは真逆だ。
けど、だからこそ分かり合えることだってたくさんあって。
「俺も、そのままのそうちゃんがすげえ好きだし、綺麗だと思うよ」
「嬉しいわ、ありがと。」
こんなに心地良いのは、きっと世界中で君の隣だけだ。
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