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「なぁ、頼む⋯⋯もう、殺してくれ」  悲壮な表情で僕の手を掴んで、彼は喉の奥から苦しそうな声を漏らした。 「なにか、あった?」  動揺しそうになるのをぐっと堪えてそう聞けば、彼は一瞬だけ視線を上げて──けれどすぐに床へ戻して、『ごめん、』とだけ呟く。  彼は、この荒みきった現代社会で生きるには少し繊細すぎるのだ。  僕たちの身の回りは、あからさまな悪意やある意味それより悪質な"善意"に満ち満ちている。それくらいは、僕だって理解している。  そしてほとんどの人はそれを上手く受け流して生きているけれど、彼はそれがあまり得意ではないのだ。 「⋯⋯いや、おれが悪いんだ。おれが弱いから、だからぜんぶ痛くて、苦しくて仕方ないんだ」  違う、彼は弱くなんかない。  人に寄り添う優しさと、人一倍物事を考えられる頭を少し多く神様に授かり過ぎてしまっただけだ。  けれど幾らそうやって彼に言葉を掛けても、彼の耳には届かない。  ──だから、 「あのね、ソラ。今日は良いお肉が安くなってたから、一緒に食べようと思って買って きたんだ。」 「ひかる、」 「あとねぇ、来月やっとまとまったお休みができたから、ソラが前に言ってた美術館の展示行けそう。嬉しいね」 「あ⋯⋯」 「僕詳しくないから、案内してほしいなぁなんて。──だめ、かな」  真っ直ぐ目を見て微笑めば、彼はぐっと言葉に詰まって固く目を瞑った。  決して急かしてしまわないように、俯いた顔をそっと覗き込んでしばらく待つ。  するとやがて、その薄い瞼がゆっくり持ち上がった。 「⋯⋯だめ、じゃない」  深い夜空を宿したようなきれいな瞳が、僕を捉えてこぼれ落ちそうにうるんでいる。  震えているのがばれてしまわないように、僕は彼の手を強く握った。 「やった! 楽しみ。」  そうして承諾をもらえた喜びを隠しもせずはしゃいでみると、彼が微かに頬を緩ませる。 「ん、」  か弱く返ってきた頷きにまた嬉しくなって、僕はひっそりと深呼吸した。  僕は、無力だ。  彼はいつも"ひかるに救われてばかりだ"なんて言ってくれるけれど、彼の苦しみを全てさっぱり取り除いてあげることは僕にはできない。ただ寄り添って、苦しみを吐き出してもらって、それでもまだ彼は僕に『殺してほしい』と言う。  僕のこの手で、終わらせて欲しい⋯⋯と。  彼の本当の苦しみはきっと、彼にしかわからない。こんなに願っても、彼の苦しみの半分も僕に分け与えられることはない。  けれど僕は我が儘だから、僕自身のエゴで彼をこの息苦しい場所へ留め続けるのだ。  いくつもの楽しい思い出で。  ──数え切れないほど結んだ、"未来への約束"で。
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