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水平線
『ずっと好きでした』
私の言葉を聞いたその人は、初め驚いたように目を見開いた。
けれど次第にその表情は困ったような色を帯び、気付けば辺りはなんとも居心地の悪い静寂に満ちていた。
⋯⋯あぁ、分かった。
もう分かったから。だから中途半端な情けなんてくれないで、今すぐに切り捨ててよ。
返す言葉を選びあぐねているのか、その人は唇を噛んだり開いたりしながらしばらく言葉を詰まらせていた。
けれど結局一番単純な言葉を選び、
『ごめんね、』
と静寂を破って微かな音を紡いだ。
この人は振る相手にまで気を遣う。いっそ悔しいくらいだけれど、そんな所も好きだった。
──かくして、高校入学以来1年と数ヶ月にわたった私の長い片想いは終わりを告げたのだ。
誰もいなくなった放課後の教室というのは、案外悪くないものだ。こうしてみっともなく壁際に腰を下ろしても誰も何も言わないし、少し顔を上げれば窓の外で溶けるように落ちだした太陽の色がなんとも美しい。
今日はこの美味しそ⋯⋯じゃなくて綺麗な夕陽を教室から独り占めだ。ふふん、ざまあみろ。
なんてぶつぶつと一人で強がっていると突然、すぐ近くにある教室後方の戸がガラガラッと音を立てて勢いよく引かれた。
「れい〜⋯⋯ってウワ、きったない顔」
現れたのは、着崩した制服からふんわりと香水の匂いを漂わせる軽そうな茶髪。幼少期からよく知る私の腐れ縁、つまり幼馴染だ。
「げ」
私が思わず漏らした声を耳が拾ったのか、そいつは何やら不服そうに文句をこぼしながら、すぐ近くの椅子に腰を下ろした。
「んー、まぁ、とりあえずお疲れ」
差し出されたポケットティッシュを引ったくるように受け取って、私はすんと鼻をすする。
「何でいんの、はる」
いつもならこいつは、時間帯的にももうとっくに帰っているはずだろう。
「部室で寝てたら誰もいなくなってたから、とりあえずれいちん探しに来た」
なんて言いながら目の前の園芸部員が大あくびなんざしやがるので、私はそのすねを思い切り殴ってやった。
「仮にも所属してんだから、居眠りなんかでサボるんじゃないよ」
「だあって眠いんだもん。今日すごい天気良かったし、これはもう不可抗力だって」
耳からぶら下げたリングをもてあそびながら、そいつがふと窓の外を見やる。
「うっわ、れいちん見て見て! 美味しそうな夕陽〜」
「⋯⋯あっそ」
呑気に美味しそうなんて言うから、これまで誤魔化していたのにお腹が空いてきてしまったではないか。
つくづく、嫌な幼馴染だ。
「お腹すいたなぁ、帰るか」
私の考えていることを知ってか知らずか、そいつが間の抜けた声で言う。
「⋯⋯そうだね」
私もこれ以上遅くなれば、親からメッセージが来始める。そうなると色々面倒だ。
「送ってく」
自分のパーカーを私に着せて、はるが立ち上がった。
「ん」
そのフードを目深にかぶって、私もゆっくりとあとに続く。しばらく座っていたから若干足が痺れているけれど、ふざけるフリをしてはるの腕を掴めばなんとかなるだろう。
あとは周りにこのひどい顔をどう説明したものか、なんて考えていると、ふいにぽんぽんと頭にあたたかい手のひらが触れた。
「──アイツにれいは勿体ないよ」
それは、ひどく柔らかな声音だった。
堪えきれなかった感情で、じわりと視界が滲む。
「ほんと、馬鹿じゃないの」
意味がわからない。だから、嫌なんだ。
軽そうに見せて、本当は誰より優しいこいつが。……別に大した人間でもない普通の幼馴染である私を、ただ素直に大切にしようとする、こいつのことが。
「馬鹿じゃないしー」
はるが眉尻を下げて苦笑する。
微かに泣きそうにも見えるその表情の意味を、今は考えないでおくことにした。
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