本能寺の夜語り

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「次はどんな話を聞かせてくれるのじゃ?」 問うたのは、ようよう落ち延びた、かなり高い身分と見える武将であった。 しかし、この武将が敵方に見つかるのは時間の問題となっていた。 深い山のさらに奥の奥、小さな集落があった。 ここに住む者たちは、痩せた土地を何とか耕し、細々と暮らしていた。 武将は、そのうちの一軒の粗末な家の土間に居た。 時節は旧暦三月。 現代の暦に直せば、三月二十四日ごろから四月二十三日前後にあたる。 寒さもしだいに緩み、桜も咲き乱れる季節であるが、甲州の奥深いこの地には、まだ雪が積み上げられていた。 この古びれた家の中は、わずかに囲炉裏に火が灯されているだけで、すきま風が入り込み、じっとしていられぬ程に寒かった。 土間では、二人の者が向かい合い、座していた。 上座に座る男の年は、三十の半ば程と見えた。 精悍な顔ではあるが、目元は落ち窪み、疲労の色が濃く見えた。 その者の向かいに座っているのは、白装束に身を包んだ山伏姿の男である。 上座の武将より、さらに若く見えた。 先程より、朗々とした声が響いていた。 若い男が武将に物語を話していた。 武将は感嘆したように頷きながら、話を聞き入っていた。
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