本能寺の夜語り

14/29
前へ
/123ページ
次へ
気が変わったのでしょうか。 あるいは、罪の意識とでもいうべきものが、男を思いとどまらせたのでございましょうか。 しかし、鬼は知っておりました。 この男は女をあきらめたわけでもなければ、恋敵である夫の行く末を案じたわけでもない、ただただ、地獄に堕ちた際に閻魔の前で語る言い訳が欲しかったのだと。 「俺は一度は手を止めた、そんなことをするつもりはなかった。 しかし、いっとき魔が差してしまったのだ」 男は、その事実が欲しかったのでございます。 鬼は、そんな男を見下すように見上げ、言いました。 「ここまできて止めるつもりか。毘沙門の足を害そうとしただけで、おまえはすでに罪人なのじゃぞ。もはや、罪から逃れることは出来ぬのだ。 ならば、憎い夫を殺し、女を手に入れた方がよかろう。 よもや、夫を生かし、女も手に入れず、罪だけを甘んじて受けるつもりではなかろうな」 鬼には、男の行く末がわかっていたのでございましょう。 言い終えた時、にやと笑っておりました。 男の震えが止まりました。 力が抜け落ちたように見えました。 男は何も考えておらぬかのように、毘沙門の足にまだ煙を上げている鉄ごてを近づけました。 それは、ついに毘沙門の足に触れたのでございます。 
/123ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加