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粘り勝ち
土曜日にそっと店を覗くとそこそこにお客が入っていて忙しそうだ。私に気がついた吉田さんが手招きする。
私も吉田だけど、親戚でも何でもない。でも、とてもよくしてくれる。大輔さんのお父さんの代から来ているパートさんで、ほぼ毎日来てくれている人だ。
吉田さんは本来、土曜日は休みなのだが、今日は市役所でイベントがあり、そのため臨時に来てもらっている。私も手伝うために店に出てきたところだ。
「葵ちゃん、おめでとう」
指輪は外してきた。何でバレたんだろう。
「あれよ、あれ。大ちゃん、相当嬉しいのね、ちゃんと時計置き場を作ったの」
調理場の端っこにガラスケースが置かれ、その中に腕時計が鎮座している。
「きっと結婚指輪もあそこに入れておくつもりよ」
吉田さんはとてもうれしそうに笑う。私はちょっと恥ずかしくなり、俯いてしまった。
「ありがとうね、葵ちゃん」
俯いた私をふんわりとハグして、耳元でそう囁く。そして、私は思い出す。
吉田さんは私がこの店に始めてきた中学生の頃から私によくしてくれて、そしてある時に話してくれた。
『この家の奥さんが亡くなった時はね、空気が重くて重くて。時期も感染症が流行っていた時だったから余計に未来が見えなくてね。それが感染症が落ち着いてきたころに葵ちゃん、健人くん、拓海くんが現れて。三人はとても元気で、正直でよく笑って、でも傷ついていて。台風みたいだった。その台風に巻き込まれて先代も大ちゃんも元気になってきたのよ。葵ちゃんたちが来てくれてよかった。本当にありがとうね』
夜間徘徊している厄介者の中学生だと思っていた私たちが、というより二人は私を心配してついてきてくれていただけだから問題児は私だけだったのだけど、その私がお礼を言われるなんて思ってもみなかった。
それからだ。おじさんや大輔さんのことをよく注意してみるようになったのは。
いかついおじさんの優しさや、体の大きな大輔さんが時々見せる笑い顔が胸にしみて、切なくなった。
あの時から家族になりたかった。妹ではなく、ずっと大輔さんの隣にいられる存在になりたかった。
「…あれから9年近く…。私の粘り勝ちだな」
吉田さんは私の呟きを拾ってコロコロと投げた。
「いやーねぇ、葵ちゃんに想われて、落とせない人間なんていないわよ」
吉田さんはおかしそうに笑い、私の存在に気付いた大輔さんが微笑んでくれる。
「入籍するんでしょ」
「はい。今週、来週で私の親に話してくれて、母には証人も頼む予定です。だから…再来週のどこかで」
「お祝いさせてね。二人のことをお祝いしたい人はたくさんいるのよ」
「はい。ありがとうございます」
お昼にがっくんか並木さんが来てきっとこの話になると思う。お祝いしたいと言ってくれる気持ちを無視はできない。
大輔さんともそんな話をしているところ。
今日はあの時計を目ざとく見つけて、からかうところから始まるのかもしれない。
私も騒々しいランチ時に備えて、お盆と箸、付け合わせをセットし始めた。
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