吉祥果

1/11
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
 初めて胎児の映像を見た時のことが忘れられない。  高校に入学してすぐの保健体育の授業だった。視聴覚教室というものがあるということを高校で初めて知って、ちょっぴり大人になった気がしたものだ。授業も大人になるために必要なものだった。  神秘的な澄んだ音色のゆったりとした音楽に、穏やかで淡々とした子守唄のようなナレーションが音質のいいスピーカーから注いでいた。  やがてスクリーンにはぬめりとした芋虫のような奇怪な生物が映し出された。芋虫は時おりもぞりと動く。そこにひとつの命と自我が存在していた。あんな奇妙な姿でも生きているということが不思議でならなかった。  頭部の大きさにそぐわない小さな胴体。触角のように華奢な手足。カエルになりかけたオタマジャクシにしか見えない。説明されなければそれとわからないほどに不格好だった。手足となる突起ひとつひとつや、わずかに黒味を帯びた管までもが固有の命を持っているかのようだった。こんな奇妙な生物が自分と同じ種だとは納得できない。  芋虫を体内に抱える人間がいるだななんて考えることさえおぞましい。命の中にもうひとつ別の命があるとはどのような感覚なのだろう。ふたつの命をもつ生物というものがどうにも受け入れ難かった。  女子のみが集まれば授業中であってもかしましいのに、この時ばかりはしんと静まり返っていて、後ろの席の子が唾を飲み込む音まで聞こえた。  私はといえば、顔はスクリーンに向けながらも視線は机上に組んだ手の親指の爪に落としていた。眉間の奥に凝り固まった力を緩めて広げる。そういうふうに意識することでようやくいつまでも脳裏に映し出される残像を締め出すことができた。  映像の再生が終わり、役目を終えたスクリーンがモーター音とともに巻き上げられていく。先生に指示された窓際の生徒たちが暗幕を開けると、勢いよく差し込んできた光が目玉をえぐり、ぐりぐりと眼底をいたぶり始めた。  明るすぎる光から顔をそむけると、瞳の表面に純白を艶やかな柘榴色で縁取った輪が浮かび上がった。輪の中に映るクラスメイトは泣いていて、私は激しく動揺した。  輪が薄れていくと笑顔で涙を流す者が幾人も見えた。生命の神秘に心打たれ涙しているのだとまるで啓示を受けたかのように誇らしげに語る。涙していない者たちも口々に自分がいかに感じ入ったのかを競うように語っていた。いずれ自身に起こるであろう神秘に早くも心震わせ、涙まで溢れさせている彼女たちに嫉妬にも似たまなざしを向けているのだった。生命の誕生をいかに尊く美しいものと認識できたのか、それが女としての、人としての価値を示すのだと誰もが思ったに違いない。  私はそれを異なる階層でのできごとのように眺めた。これもまた見せられている映像なのではないかと本気で思ったりもした。それほどに私の感情とクラスメイトの反応はかけ離れていて、自分が彼女たちと同じ種だとはとても思えなかった。映像の中の芋虫が同じ種だと思えなかったのと同じくらいに、姿の近い者たちさえ同種と認められないのだった。  私は絶え間なく込み上げてくる吐き気をこらえることで思考を満たした。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!