1人が本棚に入れています
本棚に追加
お嬢様と出会ったのは、雪が降っていた、ある真冬日だった。
「彼、新しくうちの執事にするから」
そう言って、温かい手が俺の冷たい背中に触れた。
お嬢様の父親である旦那様は、傷だらけで孤児だった俺を拾ってくださって、終いには自身の館で雇ってくださった。
親に捨てられて以来、生きるためならなんでもしてきた。
人を傷つけることだって厭わなかった。
そんな俺に突然手を差し伸べた旦那様を、最初は疑ってならなかった。
「この子は私の娘さ」
そう言って旦那さまから紹介を受けたのが、当時10歳だったお嬢様だった。
「よろしくね。新しい執事さんっ」
そう言って、お嬢様は笑った。
笑顔の素敵なお嬢様だ、と思った。
彼女が笑えば、雪も溶けるように俺も、旦那様も笑顔になった。
お嬢様はそれから毎日、俺に話しかけてはにっこりと、温かい笑顔を見せてくださった。
お嬢様は10歳に思えぬほど、大人びていた。
いつだって冷静で、優しかった。
◇
そこからはがむしゃらに修行をした。
お嬢様にふさわしい執事になれるように。
今まで自分のためにふるっていた拳には、お嬢様を守るための剣を。
ボロボロだった服は紺色の執事服に変わっていて、汚れることはもうない。
あの真冬の日から、3年が経とうとしていたある日、旦那様にこう言われた。
「お前を、娘の専属の執事にする」
お嬢様は旦那様の隣で「これからはずっと一緒だね」なんて笑っている。
それはもう、嬉しかった。お嬢様に仕えるなんて、なんなら本望だった。
「……実は、これは娘たっての希望なんだ。彼になら、私の身を預けられる。彼と一緒にいたいと思える、ってね」
「お父さん! それは言わない約束でしょ」
「それに私も、君を一目見た時からいずれ娘の執事にしようと考えていてね。よろしく頼むよ」
瞳が潤んだ。
お嬢様に命を捧げることを、誓った。
お嬢様を、絶対に一人にはしない、と。
それからというもの、毎日をお嬢様と過ごした。
◇
お嬢様の執事となって8年、ある日旦那様が言った。
「私はもう、限界だ」
旦那様の寝室で、俺とお嬢様の三人。
旦那様の声が響いた。
その声はどこか、昔の覇気を失っていた。
「お父さん……? な、なにをいっているの……」
お嬢様は、三歳の頃にお母様を失って以来、旦那様と二人で支え合ってきたという。
「病気さ、心臓の。医者がいうにはあと一週間もつかわからないと」
下唇を強く噛んだ。
俺には何もできないのか。
お嬢様からしたら、旦那様は唯一の肉親。
お嬢様は、涙をこぼしていた。
初めて見るお嬢様の涙に、何も声が出なかった。
自分の無力さを悔やんだ。
悔やむことしか、できなかった。
唇に、血が滲んだ。
旦那様の部屋から出ると、お嬢様は言った。
「お父様は、本当にもう助からないの」
あまりにも、別れが急だ。
お嬢様は冷静でも大人びていても、まだ親に守られているはずの少女だ。
そして唯一の肉親だ。耐えられるはずがない。
「お父さんまで私のそばからいなくなってしまうの……? そばにいるって、言ったじゃない……」
「……」
俺には旦那様を救うことはできない。
でも、お嬢様を救うことはできる。
旦那様に専属の執事と任命されたその日に、俺はお嬢様を一人にさせないと、そう、決めたはずだ。
旦那様はその一週間後、息を引き取った。
◇
「いつもありがとう」
お嬢様は、見た目もすっかり、大人の女性になっていた。
館には俺とお嬢様以外、もう息をする者はいない。
「突然、どうしたのですか」
「今日はあなたと私が出会って10年の記念日よ」
お嬢様は笑った。
もうその瞳に、涙は浮かばない。
「そう、でしたね」
この10年、色々なことがあった。
辛いことも、勿論あった。
いつだって、俺とお嬢様は支え合ってきた。
お嬢様はふふ、と笑って俺の手を取った。
「ねぇ、ずっとこれからも」
もう、悲しい思いなんてさせない。
旦那様が亡くなった時、改めてお嬢様に約束したんだ。
「勿論、そばにいますよ。俺はあなたの執事ですから」
お嬢様を1人にさせない。
そう、決めたから。
最初のコメントを投稿しよう!