第三話『学園都市アーカムシティ』

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第三話『学園都市アーカムシティ』

今より(さかのぼ)ること十数年前。 兵庫県神戸市。 人口約150万人、兵庫県の県庁所在地。 日本の市では六番目の人口である。 古来より、神戸は。神戸(かんべ)神封戸(じんふうこ)などと呼ばれており。 神の戸とされる“霊都”神戸であった。 その神戸に歴史的な未曽有の大地震が起こった。 (とき)は、霊和(れいわ)××年。20××年6月6日午後6時頃。 夕刻。夕暮れ時。黄昏刻(たそがれどき)(ぞく)に言う、逢魔ヶ刻(おうまがとき)である。 兵庫県神戸を震源として発生したマグニチュード9.9という歴史上、観測史上稀に見る局地的超巨大地震は、兵庫県神戸を中心に大きな大被害をもたらした。 特に、神戸市市街地はほぼ壊滅状態に陥った。 だが、なぜか不思議なことに巨大地震は、震源地の神戸を中心にしか起きなかった。 逆に言えば、神戸周辺にしか震災被害はない。 (のち)に大学の気象学者や、地震学者たちもなぜこの“現象“が起こったのか分からないと頭を悩ませた。 大地震の被害者。 死者119.990名。行方不明者275.000名。負傷者885.200名。 公的な記録にはそう記されているが、実際には死者や行方不明者はもっと存在する。特に行方不明者は十数年経っても未だに数え切れずにいる。 そして、現在でも行方不明者は死体さえも(いま)だに見つかっていない。 数十万人の消えた人々は“神隠(かみかく)し”にあったと言われた。 行方不明者の捜索は難航し、未だに見つかることもなく“迷宮”入りしている。 終わりの日。 来たるべき審判の日。終末の日。 後に人々は畏怖と恐怖を込めて、この大震災を地獄の大地震。 終末の大災厄”地獄震(じごくしん)”と呼んだ。 まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図。 地獄そのもの。 神戸。神の戸、神の扉が開かれたのだ。 いや、神の戸が破壊された。 神の扉が破られ、地獄の蓋が開いた。 扉が何かを封じているかのように。 “神封戸”が破られた。 封じていた災厄が溢れ出して押し寄せたのだ。 それはまるで、“黙示録”のように。 そして、ここは終焉の地。終末の世界になった。 最後の審判であり、審判が下った場所として。 ここは“禁忌”の都市、災厄都市とも呼ばれるようになる。 神戸大震災“地獄震” 余震も合わせて、地震は数ヶ月も続いた。 死屍累々(ししるいるい)。 恐るべき“大災厄”により事実上、神戸は完全に壊滅した。 古来より霊都神戸と呼ばれたこの都市は機能を失い崩壊したのだ。 かつての第二次世界大戦終戦前の広島長崎への原爆の風景がよぎる。 ()まわしい記憶。 灼熱(しゃくねつ)地獄の有様(ありさま)。 地獄の八つの形相のひとつ。 八大地獄の焦熱(しょうねつ)地獄、炎熱(えんねつ)地獄のように。 常に熱で、炎で。焼かれ焦げる。 神戸の全てが焼き尽された。 人々は、絶望した。神などいない、と。 もし、神がいたとしても審判が下ったのだから見捨てられたのだろう、と。 死。 死亡。 死体。 死者。 死滅。 人が死んだ。 神戸が死んだ。 死滅の都市。 都市が消滅した。 消滅都市。 わずか一瞬にして、神戸は日本から消滅したのだ。 だが、この状況を救い、(くつがえ)したのは。 神でも悪魔でも国でも政府でもなかった。 ただの一人の人間である。 彼の名は、 ハワード・フィリップス・アーカム。 H.P.アーカム。 アメリカ人。 わずか一代で富と権力を得て、国家規模の力と財力を持つ財団法人“アーカム財団”を設立した男である。 地獄だった数ヶ月の震災後、いち早く復興支援に出たアーカム財団の私設部隊、医療部隊、工作部隊など。数百万人という世界中の全財団員たち一丸で全面的に復興を開始した。 もちろん、金には糸目を付けず、急ピッチで復興再開発支援を行った。 誰よりも早く、救世主であるH.P.アーカムが。 彼の指示で、完全に停止し麻痺していた情報や交通、援助物資なども流通して行き。徐々に“都市”として機能し始めた。 *** おや? 少しおかしくはないだろうか。 不思議だとは思わないのだろうか。 誰も不思議だとは思わなかったのだろうか。 違和感。異質感。 そう、誰よりも。 この“こと”がまるで分かっているかのように。 知っていたかのように。 準備されたかのように着々と遅れることがなく復興再開発計画が進んでいた。 不思議も疑問も違和感も。 被災した当人たちはそんな事など考える余裕があるはずもなく。 ただただ神仏に祈るだけであった。 否、人々は“救世主”H.P.アーカムに祈っていた。 やがて。 被災から、大災害から数年が経とうとしていた。 “死都”であった神戸だったが、アーカム財団の尽力により完全に復興再開発が済んでいた。 危険立ち入り禁止区域や、閉鎖区域、未開発区域があるだけだ。 そして、生まれ変わった新生都市、新都“神戸”。 新生神戸は、“学園都市” として生まれ変わった。 新生“学園都市”神戸。 幼稚園、保育所、小中高の数十校もの学園施設。 各種専門学校や大学等の教育機関の新設増設。 科学、生体、遺伝子等の技術開発研究所等の研究機関の設立開設。 また衣食住のデパート、ショッピングモール等の複合商業施設が集積した神戸の一大中心地となった。 学園都市内の主な公共交通機関は、環状線の高速モノレールであり、学園都市にあるすべての学校、大学、商業施設、研究施設に駅が作られた。 人々は彼の功績を讃え、学園都市の名を“救世主”H.P.アーカム。 彼の名を取り。 新生“学園都市”神戸の人々は敬愛の名を込めて。 “アーカムシティ” “学園都市アーカムシティ”と呼んだ。 そして“新都”神戸は、アーカム財団が事実上、管理し支配することになる。 治外法権の都市。 “学園都市アーカムシティ”の誕生である。
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