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第四話『委員長の溜息』
呪。
呪い。
思えば僕の“不運”であり、この不幸体質は“あの時”から。
この“呪い”がかかっていたのだと思う。
そう、“君”の手を離し。
“君”を闇の底に落としたあの時から。
僕が“アリス”を殺した時から。
***
そう。
僕が手を離したから。
もしも。
あの時、僕が手を離さなかったら。
それとも。
いっそ、ふたりで一緒に落ちていたなら。
僕らは。
どうなっていたのかな。
***
ねえ、離して、ノア。
少女が泣いている。
いやだ。
だめだ。
少年は少女の、か細い小さな手を握っている。
離してよ。
ノアまで落ちてしまうよ?
傷だらけの幼い身体。
赤く赤く。周りの炎に映し出される小さな姿。
血だらけになりながら懇願する少女。
いやだ、離さない。
ぬるりと手が血で滑るのを感じながら、少年の手が千切れそうになるまで少女の手を離さなかった。
ノアのばか。
泣いている少女。
幼馴染の少女。
阿頼耶識アリス。
いや、少女は泣きながら微笑んでいた。
深淵の暗闇に落ちていく。
落ちる。
堕ちる。
堕ちて逝く。
ああ、アリス。
僕が“君”を見たのは、これが“最後”になった。
***
ぐらぐらと激しい揺れに目を覚ます。
周りが、辺り一面、燃えていた。
なにもかも。全部。全て。
異常なほどの揺れに立つこともできずに、炎の中を這いながらなんとか家の外にでた。
悲鳴と叫び声。
地獄。
熱い熱い。息を吸い込む空気が焼けていた。
業火。
灼熱地獄のように。
倒れた高層ビルや建物の残骸。
倒れ、焼け、千切れ、潰れた人々の死骸。
そこは正に、阿鼻叫喚の地獄絵図。
未曽有の災害。
超局地的大地震“神戸大震災”。
地獄の大災厄“地獄震”と呼ばれる史上最悪の大地震である。
その時の“僕ら”はまだ幼く、何も何もわからない小さな幼い子供でしかなかった。
***
・・・くん。
・・・おりがみ・・・くん。
くっ・・、うっ・・・。
頭蓋を万力で絞められるようにギシギシと頭痛がする。
胸を掻き毟るように吐気がする。
はぁ、はぁ、はぁ。
ああ、眩暈がする。
檻噛くん!
檻噛くん!!
誰かが僕を呼ぶ声が聞こえる。
ねえ、大丈夫?
その優しい声に導かれるように。
ゆさゆさ。
揺れる。
身体が揺れる。
ぼやけた視線の先には、二つの大きな膨らみが見える。
ゆさゆさと。
大きな膨らみが揺れていた。
っていうか、ゆさゆさどころじゃなく、めっちゃ揺さぶられているんですけど。
「ねえ、檻噛くん。ねえ、大丈夫?・・・お、檻噛くん!?」
保健室のベッドの上。
僕の手を握り締め(ぎゅっと痛いくらいに)
ずっと僕をその黒い瞳で心配そうに見つめる少女がいた。
そして、わんわん泣いているお下げ髪の少女が、ぐわんぐわんとこれでもかって僕を揺さぶり続けていた。
「い、・・・委員長?」
僕は朦朧としながら、揺さぶられ過ぎて気持ち悪くなる。
「だって、檻噛くん、ずっとうなされているし、目が覚めないし、教室で倒れちゃうし、死んじゃうんじゃないかって・・・ひっくっ、グスン」
大きな膨らむ胸とお下げ髪が揺れる可愛い少女が泣いていた。泣き顔すら可愛い。
ああ、僕はあの時、アリスと会って失神してしまったのか、情けない。ほんと情けない。
「そっか。心配してくれてありがとう、委員長。大袈裟だな、もう。
あの、それと。お願いがある。もう大丈夫だから、揺さぶるのやめてもらえるとありがたいんだけど・・・ 、 うぷっ」
僕は、口に手を当てて吐きそうになるのを我慢する。
「はわわっ、ごめんなさい。私ったら・・・」
背中をさすってくれながら、恥ずかしそうに照れる少女。
でも少し残念だった、もう少し膨らみを見ていたかった。
あ、いや何でもないです。ごめんなさい。
あはは。
僕は自然に笑っていた。こんなに真面目過ぎて可笑しくなる少女を見ていると微笑んでしまう。
「やだ、もう檻噛くん。笑わないでよ・・・」
顔を赤くして恥ずかしがっている少女。
西園寺トモエ。
お胸が大変大きい黒髪のお下げ髪がキュートな美少女。
僕のクラスメイトで、学級委員長を勤めている。
頼りになるしっかり者だけど、そういう少し抜けているところもあるお茶目さんだけど、成績は学園上位の秀才、才女でもある。
西園寺家は神戸では由緒ある家系なのだそうだ。あまり僕も詳しくはわからないけど。
これは噂で聴いたことだけど。
委員長は、あの優秀なエリート揃いの"生徒会執行部"に誘われているみたいで、なぜか入るのを拒否しているらしい。
あの天才少女にして“魔女”たる、絶対なる生徒会長、草薙リンネ直々なご指名らしいのだが、委員長本人はどうも苦手らしい。
そういう天才同士は馬が合わないのだろうか。
それとも、次期生徒会長と言われているからなのか。
“先輩”の草薙家も神戸一である草薙財閥の家系だから。西園寺家と草薙家には僕らの知らない家のごたごたが裏であるのかも知れない。
放課後の下校チャイムが鳴る。
「え?嘘・・・。ねえ委員長、今何時かな?」
僕は慌てて自分の携帯電話を探した。
「ん、ちょうど5時だけど、どうしたの?」
委員長は、携帯電話ではなく、か細い手首にある可愛い腕時計を見ていた。
げっ。マジか。ううっ、そんなに今まで寝てたのか・・・、我ながら情けない。
ほんとに、どうしようもないな。溜息がでる。
「なになに?そんなに急いでるなら送ろっか?檻噛くんの家まで。私、自転車だし、檻噛くんはいつも徒歩でしょ」
少女は、後ろに乗りなよって言わんばかりに、ぐいっと腕まくりしながら言う。
委員長の綺麗な細い腕が眩しい。
「違う違う。そうじゃないけど。いやいや、いいよ、そこまでしてもらわなくても。
ほんとに委員長は、優しいね。みんなに好かれるし、頭いいし、なんでもできるし。あーあ、委員長と付き合う人は幸運だよね」
僕には、こんな不幸しかないけどね、と僕は少し意地悪に、自虐して付け加えた。
「それは違うよ、檻噛くん。
なんでもはできないよ、できることしか私はしないしできないよ。
それにさ、誰でもじゃない。
私だって誰にでも優しくはしないし・・・。檻噛くん、君だから、今もこうして付き添ったんだから・・・、そこはわかってよね。
ねえ、檻噛くん。だったらさ。私たち、付き合う?付き合ってみる?
そしたら檻噛くんの不幸体質も治るかもよ?
私って、ほら。結構、幸運なラッキーガールなんだよ?」
可愛い目をぱちりと、ウインクしながら最高の笑顔。
最強美少女すぎるだろ、こんなの。
卑怯だ。っていうか告白?いやいや、ないない。無いって。
委員長は僕なんかに勿体なさすぎるし、寄ってくる男なんていくらでもいるだろうに。
僕は自称、幸運少女のとびきりな笑顔で胸を撃ち落とされた。
やばい、惚れてしまうよ、まじに。やめて。お願いします。僕を困らせないでください。
「え?ば、馬鹿。な、なに言ってるの委員長?付き合うって、意味わかってる?
もう冗談やめてよ。心臓に悪いから・・・、はははっ・・・」
それにクラスの憧れの美少女の委員長と付き合うだなんて、僕と釣り合う訳ないし、みんなのいい笑いものだよ。
「・・・そ、そう。・・・そうなんだ。
えへっ。じ、冗談よ。バカね、檻噛くんって。真(ま)に受けないでよね、バーカバーカ」
舌を出してテヘペロしている巨乳少女。
でも何やら一瞬、委員長の顔が少し悲しく寂しげに見えたのは僕の目の錯覚だろうか。まさか、ね。気のせいだよね。
そんなに馬鹿馬鹿言わないでよ、委員長。
ん?
待てよ。
え。ちょっと待って。
今。放課後のチャイムが鳴ったよね?
下校のベルが聞こえたよね?
あああっ・・・。
しまった。忘れていた。
僕は慌ただしくベッドから起き上がろうとする。
「ねえ、ちょっと、どうしたの?檻噛くん。そんな慌てて」
よろけそうになる身体をそっと受け止める委員長。ふわりと甘い匂いがした。
「あ、いや、あの、約束があって・・・、行かなきゃ」
まだ頭が朦朧としている。
「ふーん、約束って誰と?」
なんだか少し口調も冷たくなるお下げ髪の巨乳少女。
「あの・・・、“先輩”に呼び出されてて。放課後に“図書館”に行かないといけないんだ・・・」
「ふーん。草薙さんに呼び出されてるんだ。だったら、やばいんじゃない?もう5時過ぎてるよ。“彼女”、厳格だからね」
そう言うと、なぜか委員長の態度が急に急速に冷たくなったような気がしないでもない。
なに怒ってるんだろう、怒らすようなこと言ったかな。
「うう、言わないで。十分に、重々わかってます・・・」
ああ、まただ。頭痛がする。
“先輩”の住処である図書館。
文学少女である草薙リンネの“部屋”であり、同時に生徒会長室でもある図書館の館長室。
なぜ図書室ではなく図書館と思うだろう。
文学少女である“先輩”は兎に角、本が好きで好き過ぎて、草薙財閥のコネや財力を使い学園内、厳密に言うなら学園外の敷地に。
学園から少し離れた場所に、なんと私設の図書館を建ててしまったのだ。
ただ図書館の名はそのまま、学園の名で“草薙学園図書館”となっている、名前などどうでもいいように“先輩”らしい。
「さて、と。“先輩”が待ってる。行かなくちゃ、委員長ありがとう。ほんと助かったよ」
優しくて頼りになる委員長。
学園に入学してから、昔から頼りっぱなしだ。ほんと、君には頭が上がらない。
「私は別に何もしてないわよ」
そんな僕を心配そうに見ていた委員長はひとつ溜息をつき。
「そう、気を付けてね、檻噛くん。じゃあ私は行くから」
生きていたらまた会いましょう、と。委員長は恐ろしい言葉を言い残し、スタスタと早足で保健室から出て行ってしまった。
「あ、うん・・・」
あの、委員長怖いからやめてよ。
ふう、一呼吸。
もう完全に遅刻だから。どんな罰を受けるのか…。考えただけでも身震いする。
“先輩”。
姉のような存在であり、僕の恩人であり、憧れの先輩であり、僕が密かに想いを寄せている人でもある。
生徒会長。アルビノの少女。文学少女。
畏怖や敬意、あらゆる呼び名で呼ばれる“先輩”。
学園中、いや。学園都市中に名を轟かせている天才少女“白き魔女”草薙リンネ。
だけど、彼女こそ。
かつてどうしようもない“廃人”で、死にたがりな僕を。
暗闇の底で絶望していた僕を救ってくれた唯一の人なのだから。
生きていても仕方がない僕を助けてくれた“英雄”なのだから。
なにより僕は彼女の行動や言葉は最優先で裏切れないし、裏切らない。
僕にとって、“先輩”は。
まるで月のように美しく敬愛する至高の存在なんだ。
真っ暗な暗闇の中、迷子の僕を優しい月明かりで導いてくれる月の女神。
ただ、ただし。
月の女神を怒らせると恐怖なのだ。
古来より月の神は冥府の神、死者の神だとも言う。
彼女は嬉々として僕を冥府に追いやるだろう。
これから遅刻の罰を考えると憂鬱なんだけどね。
とほほ・・・。
だけど。
僕は貴女の為ならなんだってします。
貴女に“死ね”と言われたら死にます。
僕の命が欲しいのなら喜んで差し出しましょう。
貴女に拾われたこの命。
貴女の身代わりでも人身御供にでも。
なんだってお安いご用です。
ねえ、“先輩”。
僕の敬愛する”白き月の魔女”よ。
この愚かなる下僕に。
なんなりとお申し付けください。
ああ、僕は早く“先輩”に逢いたいのです。
“僕”は“先輩”の元に駆け出していった。
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