第五話『迷宮図書館』

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第五話『迷宮図書館』

夕暮れ。 空が赤く染まる夕焼けの神戸。 学園都市“アーカムシティ”。 草薙学園の放課後。 昼と夜が移り変わる時刻。 黄昏刻(たそがれどき)逢魔刻(おうまがどき)。 古来より魑魅魍魎(ちみもうりょう)跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)すると言われる時間帯。 逢魔(おうま)とは、“魔”に逢うということであり、“怪異”と遭遇する時刻でもある。 移りゆく空。移りゆく空間。移りゆく時間。 “まつろわぬもの”たちが生まれる異空間である。 あるいは、大禍時(おおまがとき)とも言われ。  災いや災厄、災禍(さいか)が起こるともされている不吉な時刻でもある。 不吉。 (わざわ)い。(わざわ)い。(わざわ)い。 そして、忘れもしない大惨劇大惨事である神戸大震災。 終末の“地獄震(じごくしん)”が起こったのも、ちょうど今の時間帯。 “大禍刻”であった。 *** 「遅刻だ、遅刻。 “先輩”が待ってる、早く図書館に行かなきゃ。“先輩”怒ってるよね・・・」 はあ・・・。 深く溜息をつきながら不幸が付きまとう少年、檻噛(おりがみ)ノアは夕暮れの学園内を走っている。 僕は走るのが苦手だ。 運動自体が苦手なんだ、というより好きではない。 なぜ走らなきゃいけないんだ。 陸上部がなぜ走るのかさえわからない。 僕は学園の運動場(グラウンド)を走っている陸上部を眺めながら呟いていた。 そう言えば、小学生の時はリレーや走るのが早い男子はモテていた。 意味がわからない。走るから何なのだ。早いから何なのだ。 とは言え今は、今だけは僕にもその早く走る能力が欲しいと思う今日この頃なのであった。 ただ、道中。靴紐が切れたり、水路の溝にはまったりと、散々な状態なのだが。 悲しいかな、これが僕の通常であり、日常なんだ。 *** 図書館。 草薙学園の図書館。 学園図書館。 学園の専用図書館であり、神戸一を誇る草薙財閥の財力で設立した草薙家の御令嬢、草薙リンネの私設図書館である。 見た目は世界最大級の蔵書1万5,000点以上を持つ英国(イギリス)の国立図書館である大英図書館を模して建造されている。 さすがに蔵書数は世界有数の図書蔵書数は負けるが、それでも1万点はあると言われている。 恐るべき草薙財閥の力。 いや、恐るべきなのは草薙リンネである。 アルビノの天才少女、草薙リンネ。 僕の敬愛する“先輩”。 先輩は普段からいつも図書館にいる。図書館に潜んでいる。 兎に角、“先輩”が居る場所は図書館で。図書館でしか有り得ないのだ。 それはなぜか。 “先輩”の数ある異名のひとつ、“文学少女”である草薙リンネたる由縁である。 “先輩”は、本好きで本の虫で書痴(しょち)で、本がなければ生きていけないという特異体質の活字中毒者らしい。 これは大げさではなく禁断症状がでるというのだ。 なので、いつも肌身離さず本を読んでいるし、本を持ち歩いている。 そう、“先輩”が本を読んでいないのを未だに誰も見たことがないくらいに。 校内でも校庭でも教室でも、誰にも邪魔をされず優雅に本を読んでいる眼鏡が似合う美しい“文学少女”なのだ。 そして、異名のふたつ目。迷宮の主。“迷宮の魔女”。 広大な学園の敷地に建設した巨大図書館の地下最深部には、特別に作られた“館長室”が存在する。 “先輩”は常にそこに居るし、そこに“存在”している。 不思議に不可思議に。 それはまるで“なにか”から“大事なモノ”を守っているかのように。 大切な書物を守る“守護者”の(ごと)く。 *** 「うーん、今日も“先輩”のところにまで迷わないでいけるのかな・・・。ああ、不安だ」 迷う?そう迷うのだ。 図書館で迷うことになる。 なぜなら学園図書館は、世界中のあらゆる本や蔵書が収納されていて、 館内は広大であまりにも複雑に入り組んでいる為、迷子になる人が続出してるという事から。 別名“迷宮図書館”と呼ばれている。 “迷宮図書館” なんとも迷惑な図書館である。 地下最深部の最後の迷宮、ラストダンジョンに存在するラスボスの如く、魔王の玉座には。 迷宮の主である“迷宮の魔女”が待ち構えているのだ。 魔女は優雅に安楽椅子に座って本を読んでいるのだろう。 そして草薙リンネの功績。“先輩”が凄いのはまだまだある。 学園の学生以外の一般にも常時、無料開放されており、連日図書館は賑わっている。 大英図書館には劣るものの、そのレベルの国立級図書館が一般無料開放されているのだから。 入場料(入館料)を取ってもおかしくはない。 その為、神戸以外の県外の人や遠く関東、さらには海外からも本好き図書好きなマニアや、受験生などの勉強の為の人たちにも愛用されている。 そして、わざわざこの“学園都市アーカムシティ”の草薙学園図書館へ訪れている。 学園都市神戸で有名な名所となっている“迷宮図書館”に。 「まったく、どうしてこんなものを建てたんですか・・・。ねえ、“先輩”」 からっきし運動が駄目な僕はくらりと眩暈がしそうになり、ふかふらとよろけていた。 そろそろ僕の足が悲鳴をあげている頃。 しくしく。 夕暮れの仄暗(ほのぐら)い通路で少女が泣いていた。 僕は、ふと立ち止まる。 この学園でも見慣れない顔。 どうりで見かけないはずだ、なにせ異国の少女だからだ。 小学生ぐらいの幼女。 それはまるでフランス人形のような美しい金髪碧眼(きんぱつへきがん)の少女だった。 しくしく。 (うずくま)って泣いている。 少女は黒猫を抱いていた。 にゃあ、と黒猫も心配そうに鳴いている。 泣いている黒い少女。 大きな黒い帽子に、黒いふわりとした洋服(ドレス)を着ている金髪碧眼の幼女。 まるで等身大のフランス人形のように美しく綺麗だ。 金色に輝く綺麗な髪は左右に縛ってツインテールにしている。 ゴシックロリータファッションに身を包んだゴスロリ少女。 黒猫は窮屈そうにだらりと抱かれている。 抱かれているというより(かか)えられているとも見える 黒猫も毛並みが綺麗で、整えられている。艶のある美しい黒毛。 ただ、その黒猫が普通と違うのは、右目が黄色、左目が碧色という左右非対称の“金目銀目(きんめぎんめ)”と呼ばれる珍しい瞳を持つ“オッドアイ”の黒猫だからだ。 虹彩異色症という、左右の眼で虹彩が異なる形質のことである。 オッドアイ種は猫科に多いらしいと噂に聞くが、実際に僕も見たのは初めてだ。 「ねえ、君。大丈夫?はい、これ使って」 僕はそっと(うずくま)って泣いている少女のそばに行き、制服のポケットからハンカチを取り出して手渡した。 「・・・?!」 異国の少女は、ぴくりと肩を震わせてこちらを警戒しながら見つめている。 オッドアイの黒猫もフゥー、と威嚇していた。 「あ、ごめん。驚かせたかな?それに、このハンカチ綺麗だから、大丈夫だよ。ね?」 少女は恐る恐る小さな手を出し、僕のハンカチを受け取る。 その透き通った碧い瞳は警戒している、こちらを見定めているように。 「ほら、涙を拭いて。綺麗な顔が台無しだよ?」 「ん・・・。ありがと、おにーちゃん。可愛いクマさんのハンカチ・・・」 涙を拭き取り、きちんとお礼が言える幼女に僕は関心していた。 よかった・・・、日本語わかったんだ。内心びくびくしながら話しかけたのだが。 ああ、“先輩”や委員長ならスラスラと流暢に英語が話せたのだろう。 え・・・?! クマさんのハンカチだって? 僕は驚き、少女に渡したハンカチを見る。 ・・・ああ、なんと言うことだろう。 それは、まさしく可愛いクマさんの刺繍が入っているハンカチだ。 (あいつ)め・・・。 妹様よ、頼むから自分のハンカチを僕の制服のポケットに入れないでおくれ。 「あ、そうだね・・・。あはは」 僕は苦笑いをするしかなかった。 「・・・」 少女は気に入ったのか可憐な目を見開きハンカチを見つめている。 「あ、もしよかったらそのハンカチあげるよ」 妹様よ、いいよね?また僕が代わりのハンカチを買ってあげるから。許しておくれ。 「・・・?!」 少女はびっくりした顔で僕を見た。 「え、いいの?・・・ほんとに?」 潤んだ瞳で幼女が僕に問いかけてきた。 また泣きそうな顔をしている。 「うん、あげる。よかったら使ってね。君に使われたらこのクマさんも本望だと思うよ」 「・・・ありがとう、おにーちゃん」 えへへ、と少女が笑顔になる。 まるで地上に舞い降りた天使がほんとにいたらこんな感じなのだろう。 笑顔ですら絵になる美少女である。 「おい、あまり調子に乗るなよ。少年」 突然、威圧的な声がした。 その声は少女からではなく、少女の抱いている黒猫から聞こえたような気がした。 いや、幻聴ではなく確かに猫の口から聞こえたのだ。 「・・・え、嘘。今、猫が喋った?ねえ、君・・・」 驚きながら少女に問いかけていると、黒猫が少女の腕からすとんと飛び降りて。 僕の目の前にやってきた。 「馬鹿者、猫ではない。 吾輩(わがはい)はナイアーラ・トテップである。 ナイアと呼びたまえ、愚かな少年よ」 貫禄のある流暢な日本語で黒猫は喋ったのだ。 喋る黒猫。 オッドアイの瞳が妖しく光っていた。 にこにこと微笑んでいるゴスロリ少女。 夕暮れ。 僕は異国の黒い幼女とオッドアイの喋る黒猫と遭遇してしまった。 まるで空が血のように紅く赤く染まり、校舎が薄暗くなる。 太陽が急速に沈んでいく。 まるで太陽が、“なにか”から恐れて逃げているかのように。 夕暮れの逢魔刻(おうまがとき)。 それは“魔”に出逢う時刻であり、“怪異”が起こる前兆である。 ああ、すみません“先輩”。 まだ当分、貴女(あなた)のところには辿り着きそうにありません。 巡る運命。廻る命運。 回る視界。周る世界。 ゆっくりと“歯車”は動き出していた。 かくして不幸体質の愚かな少年、檻噛(おりがみ)ノアに降りかかる“災難”は。まだまだ始まったばかりだった。
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