4人が本棚に入れています
本棚に追加
4日目
平日の朝に優雅に6時半起き。
ダラダラと支度してバス停に向かうと、通学の高校生で大混雑!さらに予想外の渋滞で驚きです。
数分おきに、団子状態でやってくるバス(なお、いずれも名古屋では見なくなった懐かしい形なとこに、ちょっとノスタルジーを感じました)にビックリするも、仮に、乗る予定のバスが満員で乗れないと大ピンチです。
なぜならば、そのバスは1時間に一本。乗り遅れは許されないともいえます。
そうこうしているうちに、バスがやってくる時間が。
……来ないけどな。
そもそも、該当のバスは広島駅発。さらに、バス以前に道も大渋滞。
バス停にあるQRを読み取ると、10分程度の遅れあり。
その間に、学生の数はみるみるうちに減っていき、経由違いで目的地まで行くバスが(遠回りで乗車時間増えるから、避けてた)
どうする?
迷った末に、下手に予定は変えず、そのまま行くことにしました。
広島駅発のバスは予定通り?10分遅れで到着。その遅れを保ったまま、目的地の高田市役所に到着しました。
この地は毛利元就最期の地。
三本の矢の格言は有名ですね。
この地にある吉田郡山城は、関ヶ原前後に、輝元が広島城に移るまでは、毛利家の本拠地として活躍した山城で、尼子氏との攻めて攻められの長い癒着状態においても、落城せずにあり続けました。
広島城築城後も、山城を重視する輝元の考えにより城址は維持され、江戸幕府の一国一城令で破壊されるまで存在したようです。
標高390mの山頂部の本丸を頂点に、家臣団の屋敷曲輪や二の丸三の丸がありますが、特徴的なのは、複数の尾根にそれぞれ曲輪が存在し、連続した曲輪を形成していない部分があること。
移動の困難は伴いますが、一つが落ちても、容易に次に進めない構造になっています。
ちなみに、石垣は本丸から三の丸まで。
破却された石が、その辺に転がっています。
↓本丸には元就の屋敷があったとされています。
また、古地図には三層の天守があったとも言われており、絵姿が残っています。
さて、お城というと、オカルト的な話をすれば、どこでも人柱伝説があります。
怨霊の力で城を護るとされ、人身御供の記述があるお城は数知れず。
が、元就は人命を犠牲にするこの考えを嫌い、
城内の石垣工事が難航した際、人柱のかわりに『百万一心』と書かれた石碑を埋めたとされます。
ようやくすると、『みんなで力をあわせればなんとかなる!』
と、なり、元々は神道にある教えだそうです。
なお、百万一心は、百万を分解し、
一日一力一心
と読むのが元々で、それを省略して百万一心となったそうです。
この石碑、長州藩士が偶然発見し、拓本を神社に奉納したりしたそうなのですが、その後、町をあげて発掘調査を行っても(全山体制)、埋まっていたとされる場所はおろか、山のどこからも石碑の破片すら出てこず、吉田郡山城最大の謎とされています。
最初のコメントを投稿しよう!