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ここ若桜鬼ヶ城は、戦国期に尼子氏②毛利氏、織田氏が因幡の覇権をかけて激しく取り合った要衝の地で、鶴尾山(標高452m)の頂上に築かれました。
織田氏配下の羽柴秀吉が因幡を平定後は、木下氏、山崎氏が城主として入りますが、元和3年の一国一城令により廃城が決まると、徹底した破城が行われ、石垣や建物は取り壊され、その跡が山上に残されました。
この破城の跡が貴重として、平成20年に史跡として国に認められますが、破壊の跡が史跡というのも、中々興味深いものですね。
この一国一城令、島原天草の乱で反乱軍に廃城となったお城を拠点として利用され苦戦を強いられた徳川幕府が、同じ轍を踏まないために行われた施策で、同様に破壊されたお城が各地にあります。
自然の手ではなく、明らかに人工的に破壊された石垣やお堀などは、時代に翻弄された土地の歴史が垣間見えます。
このお城の場合、山上部の遺構は比較的残っていて、城の入り口である桝形虎口に、天守台跡がありますが、天守台跡は豪快に崩れていますね。
しかし、諸々雪に覆われているなか、足跡があるのは、やはり来るまで来られる方がちょこちょこいるからかな。
さて、ここらで下山を考え、後の事を考えてタクシーを呼ぼうとすると、ここで自分の浅はかさに思い知らされます。
「あー、今タクシー出払ってまして」
そう、田舎のタクシーは台数が少なく、呼べば来るわけではない。
待つ、というのもテですが、仮にこのまま待ちぼうけして日が落ちれば遭難です。
ーー降りるしかない!
幸い、雨は完璧に止み、日がさす現状では、コンビニで仕入れた傘は杖代わりになりますし、一度降りた道ならば、まだ足跡があり迷うことはありません。
(この時点で、唯一破壊されなかった六角石垣を見に行くことは断念してます)
覚悟を決めて、おります。
とりあえず確信するのは、なぜ日本では冬の時期に合戦が起こりにくかったか。
……攻めても守り手も無理だからだよ!
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