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七花はふ、と目を覚ました。
――車の中だ。
夜になっていた。
車内は暗く、運転席には誰もいない。窓の向こうにはコンビニの明かりがうっすらと辺りを照らしている。
奏は……コンビニに行ったのか。
状況を理解した七花は、まだ少しまどろみながら再び助手席のシートに背を預け、今日のことを思い返した。
ランチをしたあと、奏と海に行った。それから――辺りをぶらぶらしながら買い物をして、喉が渇いたからカフェに入った。飲み物と甘いものを前にずっと話していたら、あっという間に夕方になってしまった。
昼食の時のような険悪な雰囲気にはならず、穏やかな時間だった。七花は――奏とは、安らぐ時間だけを過ごしていたいのだ。本当は。
――と、不意に、スマホが鳴った。
奏のスマホである。運転席の端に無造作に置かれたスマホの画面が光り、着信を知らせている。
七花は画面を見た。――瞬間、全身が張り詰めるのが分かった。
『知穂』
どくん、と大きく心臓が鳴った。
スマホは表示された名を主張するかのように鳴り続けている。
七花は反射的に目を逸らした。
シートに背を預け、強く目を閉じる。
見なかったことにしようとした。でも、心臓の音は思うように鎮まってくれなかった。
やがて運転席の扉が開き、奏が乗り込んできた。
七花は寝たふりをした。
車は発進しない。――何となく、見つめられている気がした。
エンジンがかかる。
車はゆっくりと発進した。
心臓の音が、ゆっくりと鎮まってゆく。
(――……大丈夫)
心の中で呟いた。
――大丈夫だ。
耐えられる痛みだ。昔みたいに、奏が誰かのものになることに、泣き喚いたりしない。
家に帰ったら――早希にラインをしよう。二美さんに会いに行く日を決めよう。読んでいた本の続きを読んで、ゆっくりと眠ろう。
奏がいなくても平気だった時間が、七花の中にはある。
どんなに奏といる時間に安らいでも、七花が七花でいるための時間は、離れていかない。
自分には、奏だけではない。
そう思うと、少しだけ安心した。
七花は心地良い車の振動を感じながら、奏から心を離した。
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