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          💐お母さんに捧げる子育てアドバイス🌈             あの時の、仕事を辞めた決断も             仕事を辞めなかった決断も             どちらも正解です。             あの時の直観=経験によるひらめき             過去のご自分のひらめきを、             信じてあげましょう😧             #伊吹真由子             2022/6/29  ♡738  遥か彼方の天空から、無数の矢のように降り注ぐ烈日の中にいた。 もう無関係な場所にされてしまった、あの白金色に輝く摩天楼のようなビルを、立ちくらみを感じるほど長い間、目を細めながらじっと見上げていた。 ベビーカーと一体化した私の影は、それ自体が異様な一個の生命体のように見えることを、私はもう、嫌というほど自覚していた。だから俯いて、己の影端を視界に入れることを受容する代わりに、無知を装って光と対峙したまま、我が目を焼かれ続けることを選んだ。  ――初夏。午前11時の西新宿。地下道上がってすぐの大通りの人足は少なかった。道行くスーツ姿の人々は一様に足早で、近づいては遠ざかる無個性な足音だけが耳に響いた。ぱんぱんに詰まった日々のタスクで頭が一杯の彼らは、毎年恒例の夏の訪れを告げる日差しと、日増しに勢いを増していく暑さには興味がないようだ。経験から推測するに、この時刻に外を出歩くのはオフィスの自席で食べる軽食の買い出しか、昼一の顧客訪問のための移動か。いずれにしても、ルーチンのつまらない惰性の移動に違いない。特に今の時期は、外の熱気が不快だったとしても、ほんの一瞬辛抱すれば、すぐに涼しい保護空間に入れる。だったら、いちいち暑さについて考える方が無駄。そう考えて彼らは思考を節約するだろう。 事実、道行く人々は皆、一様に眼前の、ありとあらゆる物事に関して無関心を装っているようだった。 今朝のニュースでもやっていたが、5ヵ年計画で進行中だという西新宿地下の再開発が終われば、全てのビルが地下道で新宿駅まで直結するようになるらしい。 スタジオに置かれた完成予想図のミニチュア模型を、アイドル上がりの女子アナは「百貨店がちっちゃくなったみたいで、かわいい」と揉み手で絶賛していた。  あと半年で終わるんですよね? すごい楽しみ!  明け方から左右対称の自意識過剰な笑顔を、ドアップで何度も見せられたのにはげんなりした。が、彼女は彼女なりに優秀な仕事をしているのだろう。はっきりと分かったのは、私が働いていた頃のある種の思い出の光景まで、刷新される形で奪われるということだった。 駅地下で、家庭的な味を売りにしてしぶとく生き残っていた個人経営の洋食屋や、値段なりのサービスで、結果的に居心地の良さを提供していたチェーン店のカフェや定食屋は全て潰れ、それらの跡地に背伸びしたライフスタイルを提案するネオモールがもうすぐ出来る。幅広に統一された地下道には歩く歩道が完備され、シェルターライクな地下広場にはご丁寧に人工の空まであるらしい。彼女の説明によると、コンセプトは、働く前と働いた後のいつもの、が集まる街。全店舗が近隣在住者及び在勤者限定で、オンライン注文も受け付ける。居住者は自己申告制だが、通勤者は各社の総務経由で、特設サイト専用のIDパスが通知されるらしい。つまりもうすぐこの街で働くエセQOL信者達は、地下道を通って天空の職場に出社したら最後、一度も地上に降りずに、退社までストレスフリーで過ごせるようになるわけだ。 西新宿駅および新宿駅地下を主軸とする再開発は、先の五輪のリベンジを掛けた、都の新時代型首都改造計画の先陣を切る事業だ。特に都庁と同区に属するこの街の人々は、テスターの名目で、最先端の科学技術の恩恵を真っ先に受けられる。あのコロナ禍でも、密かに囁かれた情報では、一般の任意のワクチン接種は、この街の住民の上級国民から始まったらしい。その次がこの街の超高層ビルの頂上階付近に入居した大企業の正社員達。ビル単位での空気浄化システムの整備により、マスクが一番先に外されたのもこの地区だった。 至れり尽せりの毎日が、これまでも、これからも約束されている人々が目の前にいる。私のかつての類友であった彼らは、自分達が選ばれた民であることすら気づいていないかのようだった。透明な謙虚さを免罪符のように示すことで、周囲の嫉妬を避けているのだろうか。否、内心ではもう飽き飽きしているのだろう。彼らは、あの頃、半ばお祭り騒ぎだったその選民の過程を、メディアのしつこいほどの報道や、プライベートでの世間話を通して、知りすぎるほど知らされている。ただでさえ時間の流れが速い街なのに、そんな話を何度も、羨望と嫉妬が混じったテンションで、街頭の冗長な販促よろしく聞かされたくなどない。だから十中八九、思考をシャットダウンして、すっぱりと割り切って、「見ざる聞かざる感じざる」を貫いているに違いない。  私だけがアップデートされてない。今も、アナログな暑さで参っているのは、やっぱり、ずっとここにいる、部外者で暇人の私だけみたいだ。 そんなことをぽっと心中で呟くと、部外者という言葉に反応したのか、汗が急激に冷たくなって、引いた。その冷たさの隙間を埋めるように、更に低温の孤独が、緩やかに染み渡っていくようだった。  西新宿はフレックスが比較的普及しているがゆえに、深夜でもビルのどこかしらに明かりが付いている。ほぼ不夜城と言ってもいい街だ。昼前の今は、街全体が眠気覚ましのコーヒー片手に、サクサクと午前の軽いタスクを消化しているようなムードがある。オフィス街はそこで働く人を映す鏡という言葉を聞いたことがあるが、この街もまたここに集まる企業同様、個人主義のスタンスを取り続けているらしい。元々出社ラッシュと昼休み以外は営業マンが並んで闊歩するような、人いきれのする街でもなかった。が、今朝のニュースによると、最近は特に外資の働き方を真似てフレックスや在宅を採用する企業が増えているそうで、特にIT系のスタートアップやベンチャーはオフィスを引き払ってテレワーク一本に絞った会社もあるらしい。 体面(メンツ)を重んじる大企業はさすがにそこまではいかないだろう。が、それでも、結果さえ出せばプロセスは不問、の時流は、以前ここに来た時よりも確実に加速しているようにも思える。  でも、喉元過ぎれば熱さを忘れる、の言葉通り、あの会社はそういうのはまだやらなさそうだけど。そんなことを頭の片隅で思いながらまたビルに視線を移した。大通りの突き当りにある元職場。立体交差の交差点を抜けた先にある自社ビル。都庁が左手に望める、30階建てのビルは、私の9年働いた古巣だ。 大小様々な、鏡張りのモノリスに似た超高層ビル達が緩く円を描きながら屹立している真っただ中で、一際白く異彩を放ちながら輝くあのビルには、依然として人為的に作られた女王のような、冷然とした気品があった。あのビルの外観だけはまだ美しいままだ、という事実になぜか安堵した。私はあれをまだ自分の分身のように思っているのかもしれなかった。でも未練がましいと思われても、それでも良かった。事実、あれは今でも、私の仕事一色だった独身時代を象徴する、唯一無二のものだから。その事実だけはどれだけ否定しても消しようがない。  この街の人々は多かれ少なかれ、己の感情を隠して、他人の感情を推測し、更にその他人の感情を操ることを義務として課されている。そうしなければ彼らの扱う商品が効率良く売れず、彼らが属する企業の事業規模を維持出来るだけの、役務を通した貢献が出来ないからだ。感情を隠して計算された、無駄のない動きをすることを強いられた人間は、無機物に近づく。そんな人間達のイメージに合うように設計されたビル達だ。彼らが人間のように思えるのは当然のことなのかもしれない。  この街での共生を意図したコードに沿う形で、それぞれが独立して設計されたビル達は、無個性なようでいて、外光の当たり方一つまでも緻密に計算されているようだ。あのビルを起点に始まる、白から寒色に至るまでの放射状のグラデーションの各色を、自らが建つ場所に応じて、施工前のデザイン段階で担当色として割り当てられているかのようなビル達は、おのおのの地色の上に、外光の反射で生み出される新たな色味をまとう形で、自身を巨大な花瓶の中に生けられた花とし、この街全体を彩っている。慎ましやかでありながら、どこか作為的。したたかな自意識の祭典だ。さながら、天然のドレスコードに沿った衣装を身に着けて無意識の演技をしているようにいつ見ても思える。自らが美しいことを自覚し、その地位の価値を知るがゆえに、誰かと会う時は必ず、横目で他人の持ち物にさっと目を走らせる、この街のマジョリティの女達の視線を思い出した。彼女らも同じように華やかで、隙のないルックスだった。利発な女優のように作り込まれた顔。受付の派遣の子を除けば、役職者ほど自由に使える原色が増えるという意味で、メイクと服装を見れば、社員証が無くとも自ずと社内のポジションが分かるようにも思えた。ランチの時は皆一様に、定期的なホワイトニングを習慣にしているであろう白い歯で、清潔感のある笑みを振り撒くのが常。屈託のない社交的な私を演じながら、自分の演技が完璧であることを常に確認していないと気が済まない。周囲をけん制しながら、視線で同じ所作を強要する所にも、それが現れていた。常に見られている、という強迫観念に密かに悩まされながら、心の奥底では、そこまで分析出来る自分の観察眼の鋭さが大好きで、確実にそれを拠り所にしていた。 同調と共感の笑みを浮かべながら、その笑みの裏側では、隣の同僚という名の敵を出し抜くための計算を、常に走らせている、野心的なコードをまとった量産型の彼女達もまた、かつては清流に放り込まれた石だった。環境に揉まれ、磨かれる形で、所作を洗練させていったのだろう。ただの石だったものが原石に変異し、やがて人工の手で分類されて加工されるに値する宝石になる。宝石はその社風に合う輝きを放つようになり、やがてそのコードと共鳴するコードを持ったビルが似合う存在になる。西新宿には自然の川はないが、個々のビルごとに、ビルを透過する形で電子の川が流れていると、働いていた時からずっと思っていた。最上階から地下までの3Dの網の目状の連なりからなる電子の川の水は、やがて各々のビルのエントランスに統合されて巨大河川となり、最終的にはあの人口の地下道の流れる歩道に、滝のように集約されるのだろう。 現実の時と共に、個々人の尺度に並走する形で、ある時はせせらぎとなり、ある時は奔流となってビル間を流れるこの電子の渓流の流れを考えるなら、両者が酷似しているのは、ある意味必然と言えるのかも知れない。有機物の尊厳を保ったまま、どこに出しても恥ずかしくない、究極の無機物になりたい人間の女達。そして彼女達の理想を概念的には既に体現しながらも、己の主人達に対しては常に従順であり続ける無機物としてのビル達。属する区分は違えどもこの手のタイプには他人に対して警戒を解くという概念が根本的にないらしい。自分は常に舞台の上の主役で、他者は良くて観客、悪ければ自分を引き立てる脇役か裏方だと思っているからだ。だから私にも例外なく警戒とけん制の視線を向けてくる。戦線離脱して部外者になった人間には遠慮などいらないからなおさらだ。  薄い雲が切れる度に、生きた舞台装置さながらのビル達の鏡面反射の攻撃を受け続けた。彼女達にとっては部外者が区域内に入ること自体が悪で罪なのだから、ここにいる限り、その攻撃を受け続けることだろう。さながら、汚いものを見るような目で、「あなた、何で今更ここに?」と繰り返し問われているような気がする。 ‥‥‥私も仕事を辞めて、反射神経が鈍くなったのだろうか。何度目かのいじめのような攻撃をまともに食らった。 視界の隅に不意に入り込んだ太陽の眩しさに怯んで、ベビーカーの取手を反射的に握った。ベビーカーの中のものに必然的に光が当たった。仕事をしていた頃なら、何をやられても冷静に反撃出来ていたのに、今では何の抵抗も、弁解のしようもない。毎度のことながら、これをやられると己の弱点を暴かれたような気分になる。四肢を拘束されるに等しいマウントを取られたことで、諦めの境地に、瞬時に至ると言うべきか。  5年前のある日、私が自らの意志で身体に寄生させたもの。私の血肉から生まれ、私の一部であったそれを今も共有しながら当ての無い成長を続けるこの不気味な哺乳類は、ようやく、あの原始的かつ、無軌道な手足の反復運動に疲れて、眠ったようだった。私は息をつくと、ベビーカーの黒いシェードを機械的に下ろした。ベビーカーの中が無音であることを、再度耳を澄ませて用心深く確認すると、虫よけカバーも一気に下ろす。これで外からは何もかも見えなくなった、何を連れているかを何者にも悟られなくなったと思うと、心から安堵すると共に、自分がこれほどまでに、周囲の、特に好奇の目に晒されることを恐れていたという事実が、あからさまに自覚出来、無性に泣けてきた。  自明のことだが、他人には絶対に指摘されたくない事実というものがある。指摘された時に、表面上は平常心を装えるが、内心では、はらわたが煮えくり返る事実が、その最たる例だろう。怒りながらも、その弱みを突かれた現状が情けなくて、怒りのはけ口が見つからない、というやつだ。私の場合で言うとそれは、このベビーカーの中にいるものが、正真正銘、私の子供だということ。この事実に尽きる。 生みの親の立場として、自分の時間を極限まで捧げてきた自負があるからこそ、虚飾を排した、ありのままの意見を発信する権利が私にはあると考える。  だからこう言える。  私の「これ」は、もう4歳になるが、その知能の発達の遅れ具合は、控えめに言っても惨憺たるものだ。もう正常な人間の範疇には無いと言っても過言ではない。断っておくが、これは私の独断ではなく、医療関係者を含む、複数の人間からやんわりと指摘された、客観的事実だ。けして気のせいなどではない。 誰に何を言われても気のせいと思い込んで、大人になるまでこの手の生物を育てられる親が一定数いることは知っている。世間ではそういうのを強い親だとか立派な親だと言って崇める風潮があることも理解している。だが、残念ながら、私はその類の人間ではない。私は自分が何が出来る人間かを理解している。私は自分自身を誤魔化して生きたり、自分が蒔いた種の顛末を見過ごして、一生を過ごせたりする人間ではない。そんな図太い生き方は私には出来ないと思う。 ‥‥‥要するに私は、自分が抱いてしまった違和感を無視出来る強さを、持ち合わせていないのだ。ここまで来たらもうそう断言してもいい。  私も理性を操れる大人なので理性で聖母を演じることは可能だ。だが、演じている間も、私の心の中では、理性の檻の中で、理性に非協力的な感情が蠢いている。人間なのだから感情があるのは当然だが、聖母を演じるのに忙しい私は、感情の動きを、影を通してでしか知ることが出来ない。平たく言えば、水面下の感情の暴走にまで構っている余裕がないのだ。  理性は私にいつも協力してくれる。これは私が知識と経験で操っている人形のようなものだから当然だが。でも感情の方は、いつも私に非協力的なのだ。私はこの、自分が知らないことを知っているかのような傲慢な動きをする、寄生虫のような感情が大嫌いだ。私に隷属しているはずのものが、私の本心を代弁しているかのように私の心の中で、したり顔で動き回る。原始的な動きで這い回りながらも、時折激しく凝固して、たちの悪い情念というべきものに姿を変えながら、私の心の中を食いつくさんとするかのように蠢く。大小の差こそあれ、こんなものを死ぬまで心に飼わなければならない。その事実が私は耐えられない。これを己の中で制御して、己が死ぬ時に道連れに出来るのが立派な人間だと説く、この社会の倫理にも。  考えれば考えるほど悪趣味なロジックだと思うのだ。考えた方が負けと言えるかもしれない。ここまで来ると、人の原罪とは、アダムとイブが神に背いてリンゴを食べたことではなくて、もっと根源的なこと、人が感情を持っていることではないかと思えてくる。もしそうだとしたら、灯台下暗しにも程があるだろう。聖書というメルヘンのオブラートに包まれるよりもずっと前から、人間の罪は初めから万人に分かる形で可視化されていたのだ。  感情の波の大きさには個人差があって、それは理性の発達と比例していると、私は考える。だから思考が深まるがゆえに苦しむということも、あり得ると思う。 私は天才ではないが、5歳から始まった受験勉強や、社会人になってからの仕事での成功経験から、自分を努力家だと思ってはいる。事実、理性的に思考を深められるに従って、感情の波も大きくなってきた。緻密な分析が出来るようになった結果、他人の感情の機微が余計に目に付いて、それに自分の感情が過敏に反応するようになったと言うべきか。 無知の知が使いにくくなってからも、私は自分の感情に随分長い間悩まされ続けてきた。どうにかこれを統率できないかと色々試みてきた。  その試みのいくつかは成功して、私は理性的な女というイメージを他人に植え付けることに成功していたのだが……。  出産を経験して以来、感情の動きが更に激しくなってきたように思う。悪いことに、喜怒哀楽の形が、出産という動物的な行為に呼応する形で、より本能寄りになってきたという自覚がある。おぞましいことだが、私が理性を制御しながら母を演じている間、私の感情は、寄生虫よりもより退化した、単細胞生物さながらの胡乱な動きをし始めているようなのだ。毎日毎分毎秒、自分の身体が下等な生物に喰われているような状況。こんなものをもはや自分の感情だとは思いたくない。  私の理性に基づく「聖母」の演技の始まりを、私の感情は目ざとく見つける。得体の知れない感情の蠢きを感じると、私の心の内壁はささくれ立つ。あの「厭」が「嫌」に変質していくような不吉なざわめきが、毒を含んだ空気のように心中に蔓延していく様は形容のしようがなく、心が腐食するという事実のみが不気味なほど際立っている。この有り様は嫌というほど自覚出来る。理性がこれ以上ないほどクリアに伝えてくるからだ。 私にも理性を持つ人間としてのプライドがある。演じることを意地でも止めたくはないので、そうなったらいつも、理性の一部を転移させて、檻を作ってその得体の知れない感情を押し込むことにしている。現にそうやって平静を装って演じ続けていると、ほんのしばらくの間は、上手くいく。 だがやがて、結界が破られるかのように、理性の檻の外に感情は長い触手を伸ばしてくる。蜘蛛の脚のような長い影が、私の感情の内に巣くう蟲の知らせを、モノイワヌ捕食者の攻撃の構えを通して伝える。この時に私の心の奥底で警鐘が鳴る。それは私の直感が、本能に基づく違和感を、私の理性に伝える警鐘なのだろう。もし超自然的な、神の視点でこのありさまが観察出来たとしたなら、恐らく、ここで私の感情の内の蟲と私の外界の、誰かの心に巣くう蟲の実体や、一人歩きした虚像が出会って共鳴している様が観察できるはずだ。外界の蟲も同じようにおぞましいが、私と同種の蟲では恐らく、ない。 最初は小さなノイズから始まるあの音、控えめに言っても虫唾が走るほど嫌な音だが、あのモスキート音のような小さなノイズが、徐々に自分にしか聞こえない内側からの悲鳴に変態しながら増幅されていく。本能的な恐怖が理性を抱き込んでいく様はとても情けなく、悲しい。 誰にも言える訳がない。だからひたすら耐えるのみだ。あれには口腔内の唾液が粘つくような不快感を伴う恐怖と生理的な嫌悪感しか抱けない。最近になって辻褄を合わせるためにこんなことを考え始めた。あれはもう一人の私の叫びなのかもしれない、と。  これは詭弁だろうか。否、一度あれが鳴り始めたら、あの心の中で延々と上がり続ける自分自身の悲鳴のような警鐘を聞こえないことにすることなど私には出来ない。到底出来ないのだ。無視したらその時点で精神崩壊を起こしそうな気がするから。  私の中でこんなことが出産以来、もう何年も続いている。  自分の中から生まれたものを、無いと言うことなど出来ない、という事実が、私が「これ」の生みの親であることの最大の裏付けでもある。  私は私を殺さない限り、この不気味な感情の発露を止められないと思う。過去を改変する形で「これ」を殺さない限り、私が暴走する感情に対して、主人としての主体性を取り戻すこともあり得ないと思う。そんなことは実現不可能だ。だったら、このバグのような袋小路の存在意義など、どうせ考えても無駄だろう。 産んだら最後、己が死ぬまで産んだ責任というものにストーカーのように付き纏われる。その責任を果たせなければ、果たせないとする姿勢を見せただけでも、母親失格、のみならず一人の人間として生きている価値がないとまで言われ、世間から執拗に糾弾される。  自然の流れで出産しただけなのに、自己の客体に過ぎなかったものに、いつの間にか自己の生存権まで奪われてしまうのは、なぜなのか。  分からない。だが、私は、私の理性は、この問題について、考えることを止められない。 果たして、この世に、これ以上の存在の皮肉があるものだろうか。  思えば妊娠が判明した時から不吉な前兆があった。  妊娠が判明した時の私が、真っ先に感じたのは異物が体内で育っているという強烈な違和感だった。母になる喜びよりも先に感じたのがそれだった。その延長線上には、小学校時代のあの出来事があると思う。卒業して数十年経つのに未だに、夢に見ることもある。いい加減うんざりする。また独り相撲の徒労をやらなければならないことが分かり切っているから。でも暴走した感情を宥めるために、私は、もう一人の「わたし」にまた、語らなければならない。あの出来事とあの空間の中で、あれ、に縁どられる形で私が感じた、緩やかな諦めについて。  最近では語ることで傷ついている気もする。が、止めるという選択肢は私にはない。  なぜならあれはトラウマではないから。だからこれも自傷行為ではないと思っている。ただの回想。それだけだ。  現に今でも幼少期のことを思い出すと、容易にそこに行きつく。  思えば私はあの時に、人の本質を悟った。  抉り出された他人のものを見る形で、悟らされた。  若かった。
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