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腹心の苦悩
アルフレッドはライアスの私室の前に立っていた。
──最中だったらどうしよう……
そんな余計な心配が過って躊躇してしまい、いまだに室内に入れずにいる。
しかし、これ以上遅れるのはまずい。懐中時計を確認して、ライアスから指定された時間を少し過ぎたところで「ええい、ままよ」とノックをすると、意外とすぐに入室を許可された。
「……失礼致します、陛下」
おそるおそる中へと入り、最上礼を取ってから軽く顔を上げる。
そこにはベッドの端に座り、これまで見た事がない程に優しい顔をして、布団に包まり横たわっている膨らみを愛おしそうに眺めている主の姿があった。その膨らみがおそらくルディアなのだろう。
あまり見過ぎると剣が飛んできかねないため、すかさず視線を下げた。
「アルフレッド……貴様、ルディアの耳元に口を寄せて、何やら楽しそうにおしゃべりをしてたそうじゃないか」
──ヒィッ!!!!
アルフレッドの顔が一気に青褪めるが、動揺を悟られないように視線を下げたままこたえた。
「…………恐れながら、皇后陛下が恐怖で震えていらっしゃったので"我が君がいらっしゃるまで、今しばらくのご辛抱を"と、お伝えしたのみ。他意はございません」
アルフレッドは暗に『陛下が遅れてくるのが悪いのでは』と返した。
それにしても誰だ、告げ口しやがった奴は……心当たりがありすぎる。
「ふっ……冗談だ。半年間ご苦労だった。お前が動いてくれていたから、皇宮内の事態が把握しやすく助かった」
「いえ、もったいなきお言葉でございます」
「やれやれ……それにしても、教皇庁の仕事の遅さは異常だな。書簡一つまともに発行出来んとは……ミハエルに体制の見直しを即刻進言しなくては」
ミハエルとは神殿の新しい教皇になった者で、神殿のいざこざを解決したライアスのみに許される呼び名である。
ライアスは憂いを込めて短く嘆息し、疲労により目頭を抑えた。全裸で事後の雰囲気ダダ漏れで乱れた姿がひどく退廃的に映り、アルフレッドは目のやり場に困った。
「──で、処理は?」
「はっ! 陛下のご指示の通り、滞りなく」
ライアスの下した指示は、ルーベルト、ロジャース、ハートナー子爵一族を全て粛清する事だった。
動かぬ証拠もあり、ライアスであれば貴族も教皇庁も世論すら味方につけ反対する者はいないだろうが、些か処分が早急すぎではないかと、アルフレッドと同じく他の臣下達も心配していた。
「ローレンスは"もう少し世論を味方につけてから粛正した方が混乱は少なかったのでは"と申しておりました。私もそう思います。事を急ぐと、陛下の正統性を疑う声が少なからず出てしまうかと」
ローレンスとは、ライアスの補佐に就く皇室文官長兼優秀な密偵で、アルフレッドとは幼馴染だ。
アルフレッドはそう言って皇帝を嗜めたが、おそらく聞いていないだろう。ライアスの性格は、戦場で十年も一緒にいれば手に取るようにわかる。
「相変わらず、お前達は小言が多いな。皆を黙らせるだけの証拠はある、心配するな」
「……まぁ、それはそうなんですけどね」
軽口を叩いてはいるが、目の前の男がその気になれば眉ひとつ動かさず何人もの首を刎ねる事を、アルフレッドはよく知っていた。
彼を"その気"にさせる人物はこの世でただ一人。今静かに寝息を立てている非力な女性だった。
ライアスが十年も皇宮を離れて戦争に身を投じていたのは、ひとえに彼自身がそう望んでいたからだ。ルディアが皇后になった後に邪魔になりそうなものは、戦争で全て排除した。
ライアスは、臣下の目から見ていても皇帝になる気がまるでなかった。
汚い仕事を終えた後に、よくルディアからもらったという鞘飾りの組紐を愛おしそうに眺めていたのを何度も見ていた。
ライアスが、皇位簒奪に向けて本格的に動き出したのは半年前。ルディアが成人になる十八歳になり、いよいよルーベルトと結婚かという時に聞いた、きな臭い噂話だった。
その噂は、国境線沿いにあるハートナー領のうらびれた酒場で酔っ払い同士が笑い話として語られていた。
"我がクソ領主様の娘が、伝統ある名家の娘を差し置いて皇室に嫁ぐらしい"
それを聞いたライアスは、聞き流す事なく噂の真偽を確かめるため、ローレンスを動かし結果ほぼ事実だと確定した。
その後の行動は早く、まずライアスは教皇庁内部に蔓延っていた腐敗を暴き、世代交代の余波で苦しむ若き教皇へ恩を売りつけた。
次に、ロジャースが定期的に放ってくる暗殺部隊を拷問にかけ必要な情報を入手し、教皇庁を脅して自身の死亡を偽装した。
暗殺部隊に対してライアスがかけた拷問は今でもアルフレッドの夢に見るほどで、筆舌にし難いほど惨く、自分がされたとしたら思わず「いっそ殺してくれ!」と懇願してしまいそうだと思うほど凄惨で目を背けたくなるものだった。
その後も半年かけてさまざまな証拠集めに奔走し、教皇への恩を使い戴冠の儀を早急にあげ、皇帝へとのしあがったのだ。
ライアスはロジャースが自分の父親を殺した事も、母親である女王を殺した事も、恐らく気付いていたはずだった。
やろうと思えばいつでも皇帝の座を手に入れる事が出来たというのに、あえて動かなかったのだ。だが、ルディアが危険だとわかるとすぐさま行動にうつし、あっさり頂点の座を確立してしまった。
アルフレッドはこの一連の行動力に畏れを抱いていた。
「……ここまで俺についてきてくれたお前達を労うだけの報酬は用意してある。酒も今日は好きなだけ持っていけ」
「お心遣い感謝致します」
ライアスはふっと微笑むとアルフレッドに退室を命じた。行為を再開するためなのか布団を取り、ルディアを抱きしめている。
ライアスは間違いなく皇帝の器たる人物だとアルフレッドは考えている。統率力、決断力、生命力……どれをとってもライアスに敵うものはいないだろう。しかし、同時に決して皇帝になるべき人ではないとも思う。
ライアスの天秤は間違いなく壊れている。ベッドに沈む非力な女性こそが、ライアスをこのまま歴史に残る賢王へと導くのか、狂王へと堕とすかどうかの鍵なのだ。
どうか、ライアスの天秤をこれ以上闇へ堕とさないで欲しいと願いながら、アルフレッドは皇帝の寝室を後にした。
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