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婚約破棄
吐息すら凍てつく夜空に、畏怖の念を抱くほど美しく浮かぶ月の様な銀髪。夜が明け、無事に生きのびた事への感謝を何度も捧げた朝日と同じ緋色の瞳。
つい何日か前まで数百人が住んでいた小さな村は、大量の火薬により硝煙が至る所で立ち昇る。
一面焦土と化したこの戦場に立ち、いつ浴びたかもわからない返り血の饐えた匂いを身体中に纏いながら、正気を保つために何度も"加護の玉"がついた組紐を指でなぞる。
君は、もう忘れているだろうか。
♦︎♦︎♦︎
遠い国境線で繰り返されてきた十年に及ぶ近隣国との戦争は、エルグランド皇国が見事その勝利を手中におさめ、皇国全土が湧き立った。
その犠牲はあまりに大きかったが、疲弊した国にようやく繁栄の光が差し込む事が約束された中、病に侵されつつ戦時の皇国を支えていた女王が崩御したのは一年ほど前の事だった。
その時すでに皇国の勝利宣言はなされており、独立機関である教皇庁へ新条約申請を通すのみとなっていたため女王崩御の混乱はなく、全てが滞りなく進んでいった。
皇族が崩御した場合、喪に服し式典や催しは取りやめる事が慣例であるが『十年戦争の終結により、我が皇国の勝利を祝う催しは恙無く行うように』という、教皇庁を通した女王直々の遺言により、本日はエルグランド皇国全ての貴族が一堂に会し、戦勝後初の大々的な舞踏会が取り行われていた。
「ルディア・グリーングラス! お前との婚約を今をもって破棄するっ!」
衆目を集める中、人差し指を向けて高らかに婚約破棄を宣言したのは、この国の第二皇太子ルーベルト・エルグランドだった。
ルーベルトは母親である亡き女王の面影を持ち、なかなかの美丈夫ではあるものの、高慢で選民的な思想を持っており非常に歪んだ性格をしていた。
対して、公の場で婚約破棄を言い渡されたのは、建国時代からこの国を支える大貴族グリーングラス公爵家の娘ルディア・グリーングラスだ。
ルディアはたっぷりとした癖のない直毛の銀髪と、橙色の複雑な色合いの瞳を持った美しく嫋やかな女性である。
ルディアは勉強嫌いでよく脱走をするルーベルトを姉のように優しく諭したり、彼の劣等感が何かの拍子に刺激され異常に攻撃的になった時には、隣に寄り添い根気強く宥めたりしていた。
当たり散らされ暴れられる事もしばしばだったが、ここ近年ルディアを一番困らせていたのは、婚前であるにも関わらずルーベルトはルディアと肌を重ねたがる事で、ルディアは何度もそれを拒絶し続け純潔をなんとか守っていた。
戴冠の儀と結婚式は十八歳になる歳の冬に行う事が通例であるため、あと二月後に盛大に執り行われる予定だった。
突然の婚約破棄と、今まで向けられた事のない好奇の視線に晒され、ルディアの手はカタカタと震えている。
そんな彼女の様子を冷えた目で眺めるもう一人の中年の男は、ルーベルトの父ロジャース・カルカロスだ。王配の一人だったロジャースは他国の王族の傍系であり、生まれを鼻にかけて皇宮をいいように支配してきた。
ロジャースは女王の数多い王配の中でも見た目は特にパッとしなかったが、生まれの良さと狡猾さで言葉巧みにその地位を築いていった。
皇太子の父親という立場を手に入れた彼は、段々と本性を表していき女王が崩御してからの一年間は、まるで自身が皇帝になったかのように振る舞っていた。
「……こんな状況ごとき対応できないとは、想像以上に情けない娘だな。次期皇帝である我が息子ルーベルトの横に並ぶ資質ではないというのが、これでようわかったわい」
息子とはあまり似ておらず、油ぎったおでこをテラつかせ傲慢に言い放った。
「その通りです、父上。それに比べて、アリアーナは僕に甘えてまことに愛い人だ。婚約者とは名ばかりで僕を慰めもしない冷酷なお前など、もういらん」
ルーベルトの傍らには、胸を強調する様に下品なほど肌を露出した子爵令嬢のアリアーナ・ハートナーが寄り添っている。
二人は誰から見ても一線を越えた距離におり、関係が深いものだとよくわかる。ハートナー家は国境線に近い領地を任されており、此度の戦争により莫大な富を得た貴族らしい。
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