今日の象徴

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今日の象徴

 帰り道の途中に呼び止められたので、公園の中のブランコの一つに腰かけた。 「まだこのブランコあったんだねえ」 「長いもので、四十年ほどになります」 「私より年上だった」 「なあに、すぐに追い抜きますよ。というのもわたくし、明日には取り壊されるのです」 「冬前だから外すのではなく?」 「古いですから」  きい、きい、ときしむチェーンを握り込むけれど、握力の落ちた手には痛いなあとしかわからなかった。子どもの頃は平気で何十分とブランコ遊びをしていたものだが。 「寂しいね」 「悲しいですなあ。どうにも虚しかったので、たまたま見かけたあなたを呼び止めてしまったのです」  暗くなってきたので、私はブランコから立ち上がった。帰るね、と昔の私と同じように言えば、「またね」「また明日ね」と返してくれたそれは今日に限って違うことを言う。 「人間というのは明日のために今日を置いていく生き物なのですが、わたくしはとうとう『明日』の象徴ではなく『今日』の象徴になってしまった」 「象徴」 「あなたは今から、『今日』とお別れをするのですよ」  なるほど、と私はよくわからないまま相槌を打った。  歩いて、そして振り返って、昔の私のようにそちらへ手を振って。  ――またね、は言えないと気付いて。 「……呼んでくれてありがとう」 「こちらこそ、ありがとうございました」  無難に言った挨拶を過去形にして返されてしまった。  別れ際じゃなければ、ただの業務的な締めの言葉だったのに。ブランコのくせに日本語をわかりすぎているヤツである。  翌日、帰り道に通った公園に、ブランコの姿はなかった。今後呼び止められることもないだろう。 ----- 20230928 お題:「別れ際」 (https://kaku-app.web.app/p/utLw2MlPpyVrPdwyXOtI)
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