夢の世界

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夢の世界

 〈留衣(ルイ)〉という少年は、夢を見ている。それは、〈終わり〉がない永遠に続いている夢だった。  これは、夢だ。  真夜中の森林を歩きながら、僕は思う。暗所恐怖症の自分が、誰もいない闇の中をひたすら歩けるわけがない。いや、そもそも現実世界の僕がどんな人間だったかなんて、全く覚えていない。〈全く〉ではないか。確かに、僕には昨日までの記憶がぽっかり抜け落ちている。覚えていることは、名前と年齢、性別くらい。それと、暗所恐怖症だということ。他にも怖いものがあったような気がするけど、なにも思い出すことが出来ない。それにこの世界の僕には、〈怖い〉という感覚がないような気がする。その証拠に、徐々に深くなっていく闇に身体を預けても何とも思わないのだ。  月光の明かりを頼りに、足だけを動かす。ひんやりと冷たい霧が僕の視界を遮った。まるで、引き返せと言っているかのように。その忠告を無視して、僕は進む。しばらく歩き続けると、霧が薄くなり、怪しげな雰囲気を漂わせている洞窟が現れた。  洞窟の前で立ち尽くした僕は、激しくなる動悸を抑えながら深く息を吸い込む。奥から流れてくる冷気は、夢とは思えないほど現実味があった。きっと、この洞窟の先に〈全て〉のヒントが隠されているのだろう。なぜかは分からないが、僕には確信に近いものがあった。胸の奥でうごめいている不思議な感覚を抱きながら、洞窟の入り口に頭を通した。  中に入ると早速、水の滴が落ちる音、岩と石がぶつかり合う音、コウモリの鳴き声、風の囁きなどの全ての音が混ざり合って、美しいコーラスを奏でていた。そこに相応しくない僕の足音だけが、いやに悪目立ちしているような気がする。一歩先さえ見えない暗闇の中、僕は岩壁をつたって足元に気を使いながら慎重に進んだ。  歩き始めてから30分くらい経った頃、月光のような微弱な光が僕の足元を照らした。反射的に顔を上げると、そこは行き止まりで、岩壁で出来ている空間が広がっていた。よく見ると、不自然なでっぱりを見せている岩がある。その隙間から五色の色が見える。緑、白、赤、青、黄色。どれも僕の心をざわつかせる『いろ』であって、なぜか懐かしさを感じた。  不意に、僕の手がのびる。光に、色に導かれるように、僕の意思とは関係なく、『それ』に近づく。僕の手が重なった時、光と色は失われた。そこに残ったものは、色がなく、岩石が硬くこびりついている『宝石』だった。 「その石を持って、私についてきなさい」  右隣から囁くような声が聞こえた。男性の声だ。僕は、この声を知っているような気がするが、思い出すことができない。  ぼんやり考えていると、右隣にいたはずの男性は僕の目の前に立ち、見下ろしていた。男は長身で、黒いスーツを身にまとい、大きなファーフェルト・ハットを深く被っている。帽子のせいなのか、暗闇のせいなのか、男の顔はよく見えない。 「その石を持って、私についてきなさい」  目の前の男は、呪文のように繰り返した。 「あの、あなたは誰ですか。・・・僕たち、知り合いでしたっけ?」  いきなり現れた男性に恐怖を抱いた僕は、震えながら男性に尋ねた。そんな僕に彼は呆れたような雰囲気を出す。 「いいから、私は君の全てを知っています。私について来たら、君は全て思い出すことができますよ。私が保証します」  彼の態度や口調は穏やかで紳士的だが、口元は笑っていない。感情を読み解くことができない。僕は拾われてきた野生動物のように、彼を睨みつけた。彼は、不敵な笑みを浮かべ、「ただし、私を追跡することは簡単なことではありません」と続けた。 「その先にたくさんの試練が君を待っているでしょう。その試練に立ち向かう勇気と覚悟があるのであれば、その石を持って私についてきなさい。それができないなら、石を捨てて、もと来た道に帰りなさい」 〈もと来た道に帰る?〉  後ろを振り向くと、今まで通ってきた道が分かりやすく光り出した。僕に残された道は二つ。この光を辿っていくか、この男についていくか。正直にいうと、彼を信用していない。だからといって、何もかも諦めて引き返すことは出来ない。目の前の男は、僕の返事を待っているようだった。もし、僕がここで引き返すことを選んでも、彼は何も言わないだろう。そしたら、僕の記憶はどうなる?この夢は?僕は全てを取り戻すことができるのか? 「あ、あの・・・」  気がつくと、僕は彼に疑問をぶつけていた。 「もし僕が、この石を捨てて戻ることを選んだら、この夢から抜け出すことができますか?僕の記憶も元に戻りますか?」 「はい。君の言う通り、石を捨て、来た道をそのまま辿っていけば、この夢から抜け出すことが可能です。記憶も戻ります」  聞きたかった言葉、知りたかった情報であるはずなのに、僕の心は沈んだままだった。 「夢の続きを見たくないなら、それも一つの方法だ。君がそれでいいと思っているなら、私は止めない。この先は、君の自由だ。どちらを選択するかは、君自身が決めなさい」  ここから先は、僕の自由。このまま記憶が戻り、夢から覚める方法を選ぶことができる。だが、この道を選んだ後、きっと僕は後悔するだろう。そう僕の直感が叫んでいた。次に、僕のことを知っているという男性を見た。今見ても、彼は怪しい雰囲気を漂わせている。でも、今はこの人についていくことが正しい道だと、本来の僕が教えてくれているような気がした。  究極の選択を選ぶことになった僕は、ゆっくりと目を閉じた。僕の覚悟はすでに決まっている。  再び目を開けると、そこに男性の姿はなかった。その代わりに、太陽の光がうっすらと差し込んでいる。洞窟の出口だ。そう確信した僕は『宝石』を半ズボンのポケットに仕舞い込み、長かった暗闇から外の輝きに向かって走り出した。
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