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地下道から人の足音が聞こえてくる。少しずつ近づいてくる音に、身体を硬直させた。足音は牢屋の前で止まる。
「ったく、また子供かよ。今日で二回目だぞ」
ぼやけた視線を上げると、軍服を着た大男が立っていた。きっと、執行人か、なにかだろう。ついに、その時がきたのかと悟った僕は、抵抗することができず、隅の方で震えていた。
そんな僕になにを思ったのか、男はその場に腰を下ろす。まるで、小さい子供に目線を合わせる父親のようだ。
「そんなに怖いか?さっきの女の子の方が堂々としてたぞ」
予想に反して、優しい声色で話しかけてくる男性。いまひとつ状況が飲みこめていない僕は、間抜けな声をもらした。
「安心しろ。俺がここに来たのは、お前を処刑台に連れていくためじゃない。チャンスを与えにきたんだ。お前はまだ子供だ。いくらでも更生できる。我々に協力してくれれば、きみの罪を免除しよう」
「それって、自分の身代わりを差し出せって、こと?」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない。これは司法取引。正当なものなんだ。この世にあふれている犯罪者を一人捕まえればいい。この世界の治安維持のためにつくせばいいのさ。きみは人々の幸福を守った英雄になれる」
「ぼ、僕には、理解できないよ。なんで、仮面をつけないといけない法律が幸福につながるの?」
この世界に来て、ずっと思っていた疑問。この世界の人たちは、この法律をどう思っているのだろう。
男は自分の口髭をなぞり、少し考える素振りを見せた。
「ふーん、きみは思ったより頭がいいねえ。よし、特別に教えてやる。この法律をつくったのは、俺だよ」
思ってもみなかった返答に愕然とした。この人は今、なんていった?
「かつて、ここは争いが絶えない国だった。他人を疑い合い、親戚や友人すら信用することができない。こんな世の中を変えるために、俺は国のトップにのぼりつめた。そして、色々考えた。争いがなくなる世界をつくるにはどうすればいいか。・・・気づいたんだ。原因は、顔だということにね。人の素性を知らなければ、『差別』が生まれない。みな平等なのだ。素を見せない限り、争いごとが起きない!!」
本当にそうだろうか。熱弁する彼の勢いが増す一方、僕はどうしても納得できなかった。男の狂気じみた笑い声に恐怖すら感じる。
確かに、全員が仮面を被りお互いの素性を知らないまま生活すれば、不平等で傷つく人が減るのかもしれない。でも、仮面を被ったことによって、人は『心』を失うのではないか。
疲れきった顔で仕事に向かおうとするここの住人を思い出した。仮面で顔を隠しているつもりでも、目元の深い隈だけは隠しきれていない。そんな彼らは、本当に幸せだといえるのだろうか。
頭の片隅に、アマネちゃんの笑顔が浮かぶ。彼女は今、どうしているのか。
「あ、あの。アマネちゃんは?」
「ああ、あの子か。彼女も今日、ここに連れてこられたんだよ。法律を知らなかったみたいでね。かわいそうだから、チャンスを与えたのさ。・・・〈犯罪者を捕まえたら見逃してあげるよ〉って。最初は嫌がっていたけど、〈命は助かるよ〉って言ったら、泣いて喜んでたよ」
彼はいやらしい笑みを浮かべて、そう言った。
考えてみれば、アマネちゃんの服装はボロボロだった。ビリビリに破れたレースを大事そうに握りしめ、黒ずんだスカートの端を何度もはらっていた。触れてはいけない事情があるのかもしれない。そう思った僕は、気づかないふりをした。
アマネちゃんは、この男に脅されていたんだ。
「さあ、きみはどうする?あの子のように法律にしたがって助かるか、このまま処刑台にいくか。どちらが賢い判断か、きみにはわかるよね?」
「・・・ぼくは、死にたくない」
鼻で笑う男を無視して、僕は続けた。
「でも、それ以上に、僕の身代わりとして誰かが苦しむのは、もっと嫌だ」
「じゃ、このまま死を受け入れると?」
沈黙がながれる。なにも言うことができなかった。
そんな僕をみて、男は豪快に笑い出した。
「だったら、俺がつくった法律にしたがえ!きみに残された道は、それしかないんだよ!!」
〈ぼく、きみのことを守るから〉
伝えられなかった言葉。声に出す勇気はなかったけど、その言葉に嘘はなかった。
もう一度、あの笑顔を思い出す。『笑顔』という仮面を身につけ、『死』の恐怖に怯えていた彼女は、生き残るために自分を偽ることしかできなかったのかもしれない。僕が捕まったことで、アマネちゃんは救われたのだろうか。今度こそ、ちゃんと笑えているのだろうか。
絵に映る聖母と目が合った。この母親のように、誰かのために優しくなれることが本当の強さではないか。他者を犠牲にして『本当の自分』を取り戻したとしても、きっと僕は笑うことができない。
「・・・ごめんなさい。僕はおじさんの正義が正しいとは思えない。だから、そのチャンスを受けることはできません」
「この俺がチャンスを与えてやったのに、きみは悪魔を擁護するのか」
「おじさんにとって仮面がない生活は悪かもしれないけど、仮面をつけても人は幸せになれないと思います」
自分を変えることができても、他人を変えることはできない。法律やルールで強制しても、本当にいい世界はつくれない。ひとり一人が意識し、行動に移すことでやっと、平和が実現できるのではないか。
「それ以上、なにを言っても無駄なようだな。もういい、お前は死罪だ。せいぜい、最期の晩を楽しむことだな」
男はそのまま地下牢から去っていった。
ひとりになった空間で一息はいた。あの人には、なにも伝わらなかったらしい。鉄製の扉を押して引いてみたけど、やっぱり鍵がかかっていた。やることをなくした僕の目に、汚れが残った宝石が映る。せめて、この宝石だけは綺麗にしてあげよう。油が染み込んだ壁に腰かけ、聖母に見守られながら宝石を磨いた。
「それが、きみの答えなのかい?」
さっきの男とは違う声。顔を上げると、洞窟の中で出会ったあの人が牢屋を覗くように立っている。たいして驚かなかった。彼はずっとここにいて、今までの会話も聞いていたのだろう。
「直接あって話すのは、2回目ですね。前と比べて、ずいぶんと立派になりました」
「いろいろあったからね。おじさんも見ていたでしょ」
「ええ。ところで、本当の自分を見つけることができましたか?」
手が止まる。本当にこの人は痛いところをついてくるな。
「あなたのことですから、隙を見て脱獄しようとか考えているのでしょう。私はそのお手伝いをしにきました」
彼は何かを見せびらかすように右手をあげた。その手には、鍵が握られている。僕の考えはお見通しか。本当は朝まで待って、看守が扉を開けた瞬間に自慢の足で逃げきってやろうと思っていた。このまま大人しく殺されるより、最後まで抵抗したほうがいいと。
「あきらめない姿勢は立派ですが、無謀すぎます。いくら階段で鍛えられた足でも、訓練された大人には敵いませんよ」
そう言いつつ、鍵を開けてくれた彼は、人差し指を僕の口元にあてた。
「ここから先は音を出してはいけません。私はここの住人ではないので大丈夫なのですが、あなたは罪人です。少しでも音を出してしまうと、地下牢のセンサーが発動して、脱獄がバレてしまいます。地下から出るまで静かに行動してください」
僕は頷くと、蝋燭の火を頼りにそっと抜け出した。長い地下トンネルを記憶の通りに進んでいく。薄暗く距離があるだけで、経路は単純だ。僕たちは順調に歩んでいった。
「ここを出たら、アマネという少女に会いにいきますか?」
もう半分に差しかかった頃、男は口を開いた。正直、迷っている。彼女に裏切られた僕が会いにいっていいのか。裏切られたことに対して、今はなんとも思っていない。彼女にも事情があったのだ。僕が会いにいくことで、彼女を苦しめるのではないか。そんな予感がして、すぐに頷くことができなかった。
「会いにいってみるといいですよ。彼女にも乗りこえなければいけない試練がある。それに、きみも伝えたいことがあるでしょう。・・・きっと今も、あの場所にいますから」
不思議なことに、彼の声は地下牢に響くことがなかった。
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