第三段

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 地下道から人の足音が聞こえてくる。少しずつ近づいてくる音に、身体を硬直させた。足音は牢屋の前で止まる。 「ったく、また子供かよ。今日で二回目だぞ」  ぼやけた視線を上げると、軍服を着た大男が立っていた。きっと、執行人か、なにかだろう。ついに、その時がきたのかと悟った僕は、抵抗することができず、隅の方で震えていた。  そんな僕になにを思ったのか、男はその場に腰を下ろす。まるで、小さい子供に目線を合わせる父親のようだ。 「そんなに怖いか?さっきの女の子の方が堂々としてたぞ」  予想に反して、優しい声色で話しかけてくる男性。いまひとつ状況が飲みこめていない僕は、間抜けな声をもらした。 「安心しろ。俺がここに来たのは、お前を処刑台に連れていくためじゃない。チャンスを与えにきたんだ。お前はまだ子供だ。いくらでも更生できる。我々に協力してくれれば、きみの罪を免除しよう」 「それって、自分の身代わりを差し出せって、こと?」 「人聞きの悪いことを言うんじゃない。これは司法取引。正当なものなんだ。この世にあふれている犯罪者を一人捕まえればいい。この世界の治安維持のためにつくせばいいのさ。きみは人々の幸福を守った英雄(ヒーロー)になれる」 「ぼ、僕には、理解できないよ。なんで、仮面をつけないといけない法律が幸福につながるの?」  この世界に来て、ずっと思っていた疑問。この世界の人たちは、この法律をどう思っているのだろう。  男は自分の口髭をなぞり、少し考える素振りを見せた。 「ふーん、きみは思ったより頭がいいねえ。よし、特別に教えてやる。この法律をつくったのは、俺だよ」  思ってもみなかった返答に愕然とした。この人は今、なんていった? 「かつて、ここは争いが絶えない国だった。他人を疑い合い、親戚や友人すら信用することができない。こんな世の中を変えるために、俺は国のトップにのぼりつめた。そして、色々考えた。争いがなくなる世界をつくるにはどうすればいいか。・・・気づいたんだ。原因は、だということにね。人の素性を知らなければ、『差別』が生まれない。みな平等なのだ。素を見せない限り、争いごとが起きない!!」  本当にそうだろうか。熱弁する彼の勢いが増す一方、僕はどうしても納得できなかった。男の狂気じみた笑い声に恐怖すら感じる。  確かに、全員が仮面を被りお互いの素性を知らないまま生活すれば、不平等で傷つく人が減るのかもしれない。でも、仮面を被ったことによって、人は『心』を失うのではないか。  疲れきった顔で仕事に向かおうとするここの住人を思い出した。仮面で顔を隠しているつもりでも、目元の深い隈だけは隠しきれていない。そんな彼らは、本当に幸せだといえるのだろうか。  頭の片隅に、アマネちゃんの笑顔が浮かぶ。彼女は今、どうしているのか。 「あ、あの。アマネちゃんは?」 「ああ、あの子か。彼女も今日、に連れてこられたんだよ。法律を知らなかったみたいでね。かわいそうだから、チャンスを与えたのさ。・・・〈犯罪者を捕まえたら見逃してあげるよ〉って。最初は嫌がっていたけど、〈命は助かるよ〉って言ったら、泣いて喜んでたよ」  彼はいやらしい笑みを浮かべて、そう言った。  考えてみれば、アマネちゃんの服装はボロボロだった。ビリビリに破れたレースを大事そうに握りしめ、黒ずんだスカートの端を何度もはらっていた。触れてはいけない事情があるのかもしれない。そう思った僕は、気づかないふりをした。  アマネちゃんは、この男に脅されていたんだ。 「さあ、きみはどうする?あの子のように法律にしたがって助かるか、このまま処刑台にいくか。どちらが賢い判断か、きみにはわかるよね?」 「・・・ぼくは、死にたくない」  鼻で笑う男を無視して、僕は続けた。 「でも、それ以上に、僕の身代わりとして誰かが苦しむのは、もっと嫌だ」 「じゃ、このまま死を受け入れると?」  沈黙がながれる。なにも言うことができなかった。  そんな僕をみて、男は豪快に笑い出した。 「だったら、俺がつくった法律にしたがえ!きみに残された道は、それしかないんだよ!!」  〈ぼく、きみのことを守るから〉  伝えられなかった言葉。声に出す勇気はなかったけど、その言葉に嘘はなかった。  もう一度、あの笑顔を思い出す。『笑顔』という仮面を身につけ、『死』の恐怖に怯えていた彼女は、生き残るために自分を偽ることしかできなかったのかもしれない。僕が捕まったことで、アマネちゃんは救われたのだろうか。今度こそ、ちゃんと笑えているのだろうか。  絵に映る聖母と目が合った。この母親のように、誰かのために優しくなれることが本当の強さではないか。他者を犠牲にして『本当の自分』を取り戻したとしても、きっと僕は笑うことができない。 「・・・ごめんなさい。僕はおじさんの正義が正しいとは思えない。だから、そのチャンスを受けることはできません」 「この俺がチャンスを与えてやったのに、きみは悪魔を擁護するのか」 「おじさんにとって仮面がない生活は悪かもしれないけど、仮面をつけても人は幸せになれないと思います」  自分を変えることができても、他人を変えることはできない。法律やルールで強制しても、本当にいい世界はつくれない。ひとり一人が意識し、行動に移すことでやっと、平和が実現できるのではないか。 「それ以上、なにを言っても無駄なようだな。もういい、お前は死罪だ。せいぜい、最期の晩を楽しむことだな」  男はそのまま地下牢から去っていった。  ひとりになった空間で一息はいた。あの人には、なにも伝わらなかったらしい。鉄製の扉を押して引いてみたけど、やっぱり鍵がかかっていた。やることをなくした僕の目に、汚れが残った宝石が映る。せめて、この宝石だけは綺麗にしてあげよう。油が染み込んだ壁に腰かけ、聖母に見守られながら宝石を磨いた。 「それが、きみの答えなのかい?」  さっきの(ひと)とは違う声。顔を上げると、洞窟の中で出会ったが牢屋を覗くように立っている。たいして驚かなかった。彼はずっとここにいて、今までの会話も聞いていたのだろう。 「直接あって話すのは、2回目ですね。前と比べて、ずいぶんと立派になりました」 「いろいろあったからね。おじさんも見ていたでしょ」 「ええ。ところで、を見つけることができましたか?」  手が止まる。本当にこの人は痛いところをついてくるな。 「あなたのことですから、隙を見て脱獄しようとか考えているのでしょう。私はそのお手伝いをしにきました」  彼は何かを見せびらかすように右手をあげた。その手には、鍵が握られている。僕の考えはお見通しか。本当は朝まで待って、看守が扉を開けた瞬間(とき)に自慢の足で逃げきってやろうと思っていた。このまま大人しく殺されるより、最後まで抵抗したほうがいいと。 「あきらめない姿勢は立派ですが、無謀すぎます。いくら階段で鍛えられた足でも、訓練された大人には敵いませんよ」  そう言いつつ、鍵を開けてくれた彼は、人差し指を僕の口元にあてた。 「ここから先は音を出してはいけません。私はの住人ではないので大丈夫なのですが、あなたは罪人です。少しでも音を出してしまうと、地下牢のセンサーが発動して、脱獄がバレてしまいます。地下から出るまで静かに行動してください」  僕は頷くと、蝋燭の火を頼りにそっと抜け出した。長い地下トンネルを記憶の通りに進んでいく。薄暗く距離があるだけで、経路は単純だ。僕たちは順調に歩んでいった。 「ここを出たら、アマネという少女に会いにいきますか?」  もう半分に差しかかった頃、男は口を開いた。正直、迷っている。彼女に裏切られた僕が会いにいっていいのか。裏切られたことに対して、今はなんとも思っていない。彼女にも事情があったのだ。僕が会いにいくことで、彼女を苦しめるのではないか。そんな予感がして、すぐに頷くことができなかった。 「会いにいってみるといいですよ。彼女にも乗りこえなければいけない試練がある。それに、きみも伝えたいことがあるでしょう。・・・きっと今も、にいますから」  不思議なことに、彼の声は地下牢に響くことがなかった。
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