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第四段
「行かないで、グモール。あなたまで失ったら・・・わたし」
「心配しないでください。かならず、あなたのもとに帰ってきます。それまで、待っていてくれますか?」
「ええ、待つわ。だからお願い。無事に帰ってきて。約束よ」
「はい。リーラさま」
ブルーライトにつつまれる舞台。スピーカーから流れるおだやかな旋律。身体を重ね合い、愛を囁くふたりの男女。そこは別世界のようで、客席のだれもがその世界に引き込まれていた。
舞台上手裏の床掃除をしている最中、僕もあの二人にくぎづけだった。舞台袖から見える演技だけでも圧倒されるので、正面から見た迫力は相当なものだろう。
終演後もしばらく余韻に浸っている僕の肩にそっと手がおかれた。同じく、舞台掃除屋として雇われたタツ兄さんだ。
「アリアさん、本当に綺麗だよね。演技も上手だし。るいもそう思うだろ」
モップを片手にニヤついている彼を見て、途端に恥ずかしくなった。『アリアさん』はこの世界の名優で、この舞台の主演をはっている。
「そろそろ仕事に戻らないと。こんなところ、サワダさんに見られたらなんていわれるか。あの人、怒ると怖いからね」
「確かに、戻りましょうか」
僕がこの世界に来て、1週間が経つ。いくあてもなく彷徨っていた僕に住む場所を与えてくれたタツ兄さんには、感謝してもしきれない。その恩をかえすために、タツ兄さんが経営している掃除屋を手伝うことにした。
今日の仕事は『サワダさん』が管理している舞台の清掃。サワダさんはこの世界のお偉いさんで相当のお金持ちらしく、ぼくらを「貧乏人」と罵っていた。前回の出来事もあり、こういうお偉いさんはどうしても、好きになれない。
上手が終わったら、次はステージだ。下手側はタツ兄さんがやってくれた。いつも率先して仕事を引き受けるタツ兄さんのように、僕も積極的に行動しようとこころがけている。
複雑に設置された舞台装置は残っているが、小道具はスタッフさんたちによって片づけられた。細かいところを隅々まで拭きとるために、倉庫から長いモップを取ってきたことを思い出す。上手の奥に立てかけてあったモップを脇に挟み、ステージに戻ろうと振り返った。
【バシャン】
床に散らばる破片の音。全身の動きが止まる。モップの端が近くに置かれていた台にぶつかり、その上にあったつぼが床に落ちてしまったのだ。その音に気づいたタツ兄さんが「どうしたの?」と近寄ってきた。
高そうなつぼの破片を見て、目の前が真っ青になる。状況を理解したのか、タツ兄さんはどこかに電話をかけ始めた。
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