第四段

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 しばらくして、状況をききつけたサワダさんが鬼の形相でやってきた。 「おれの大事なつぼだったんだぞ!!どうしてくれるんだ!!」  最悪だ。このつぼはサワダさんのお気に入りだったらしい。それを僕は壊してしまった。わざとじゃなくても、謝って許されることではない。 「すみませんでした。ぼくが、つぼを割ってしまいました。ごめんなさい」  なにも言えなかった僕の横で、タツ兄さんは床に頭をつけて謝った。僕がやったことなのに、彼が必死に頭を下げる姿を見て、胸が痛む。 「あのっ、違うんです。ぼく」 「るいくんは関係ありません。ですから、これは僕が弁償します」  僕の言葉を遮って前に出たタツ兄さん。もう、どうしていいかわからなくなった。  サワダさんに請求書を渡され、劇場を追い出されてしまった。もう二度と、ここに来ることができないだろう。お気に入りのつぼを壊された怒りは、弁償だけではおさまらなかったらしい。 「ごめんなさい、タツ兄さん。僕がちゃんと周りを見ていれば、こんなことにはならなかったのに」  声が震える。タツ兄さんはそんな僕の頭に手を伸ばした。優しく乗せられたはとても暖かくて、どこか懐かしさを感じた。 「失敗することは誰だってあるさ。仕事は失敗のくりかえし。それに、るいはまだ子供なんだし、いくらでもやり直しがきくよ」  夕焼けの光が、彼の右頬を照らす。 「さあ、帰ろうか。つぼの弁償代のことは帰ってから考えることにしよう」  長く伸びきった影を追うように僕も歩き出した。高額な金額を思い出して、頭が痛い。これは僕がまいた種だから、僕がなんとかしないと。これ以上、タツ兄さんに迷惑をかけたくない。・・・だけど、今の僕になにができるのだろう。  古い小さなアパートの一室で、僕らは生活している。元々ここは、タツ兄さんの両親が建てたもので、今は掃除屋の社員たちに分け与えているらしい。ここに来てから、他の部屋に住んでいる社員に一度もあったことがない。いつもガラーンとしていて錆び臭い雰囲気が漂っている。本当に人が住んでいるのか。気になりはしたけど、触れることをやめた。きっと、タツ兄さんにも事情があるのだろう。僕やアマネちゃんみたいに。 「あった。これだ!」  帰ってきてすぐ、押し入れの中でゴソゴソと何かを探していたタツ兄さんが顔を上げた。その手には、小さな額縁におさまっている絵がある。今まで見てきたものと同じ、子供が描いた絵だ。 「タツ兄さん。その絵は?」 「・・・これは、父さんと母さんの形見だよ。誰が描いたのか、どうして子供の絵がここにあるのか分からないけど、父さんたちはこの絵を大事にしていたんだ」  子供の絵はこの世界で最も価値あるものだ。高値で取引されたりするらしい。理由はわからないが、貴重なものとして重宝されている。 「この絵、売ろうと思う」  言葉を失った。いくら高額で売れるからといって、簡単に両親の形見を手放していいのだろうか。  テーブルの上に置かれた請求書が目につく。そうか、借金をかえすためにこの絵を売ろうとしているんだ。僕のせいでタツ兄さんの大切なものが奪われる。タツ兄さんはなにも悪いことをしていないのに。  僕のために頭を下げている彼の姿が、脳裏に浮かんだ。タツ兄さんの役に立ちたくて掃除屋を手伝っていたのに、実際は迷惑かけてばかりだった。今回も僕の失敗で、タツ兄さんが責任を取らなくてはいけない。僕を助けたばかりに、彼は大切なものを失うんだ。 「いっておくけど、これは僕が決めたことだから。るいが責任を感じることはないぞ」  大きい手で僕の髪をかき乱す。ガハハと笑った声には、力が入っていないように感じる。  風呂場に向かう彼の背中をひとり寂しく見送った。  泥が削られ、輝きを取り戻しつつある宝石。この世界に来てからも、毎晩かかさず磨き続けていた。掃除屋を始めてからコツをつかめてきたような気がする。  「宝石、磨かないのかい?」とタツ兄さんに言われたけど、今日はそんな気分じゃない。名残惜しそうな瞳で絵を見つめていたタツ兄さん。本当は売りたくないはずだ。  棚の上に立てている写真。僕と同じ歳くらいのタツ兄さんと両親が写っている。その後ろにしっかりとが飾られていた。  タツ兄さんにとって、あの絵は両親との思い出がつまっているのだろう。記憶がない僕にはわからないけど、それは値段ではあらわすことができないくらい価値があるものだと思う。 「・・・とうさん、かあさん、ごめん」  机につっぷしたまま寝てしまったタツ兄さん。掠れた寝言に心臓が押しつぶされた。  ぼくは今まで、なにを見てきたのだろう。本当の自分を探すためにいろんな世界をまわって、いろんな人に出会って、宝石を磨き続けて。なにもできないと決めつけて誰かについていくだけでは、洞窟を彷徨っていた頃の自分とかわらない。この絵を、タツ兄さんの思い出を守るためになにができるだろう。  床に大量の新聞紙が置かれている。乱雑にはみ出している求人情報。そうだ。バイトをかけ持ちすれば、僕の力でも賠償金を払えるかもしれない。なるべく早く返せるように、時給が高いバイトに何個か応募して、明日から働かせてもらえないか頼みこんでみよう。  そんな簡単なことではないとわかっている。だけど、なぜかその後も、僕の思い通りに物事が進んでいった。
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